2025年7月24日木曜日

私たちは、本当に「一つ」になれないのだろうか?

 


「どうして、分かってくれないんだろう」

「あんな考え方、到底受け入れられない」

 

私たちの周りには、見えない「壁」がいくつも存在します。SNSを開けば、誰かの正義と誰かの正義が激しくぶつかり合い、職場や地域、時には家族の間でさえ、埋めがたい「溝」が横たわっているのを感じることがあります。

 

私たちは、まるで違う言語を話しているかのように、互いを理解できずにいます。同じものを見ているはずなのに、見えている景色が全く違う。その現実に疲れ果て、「人は決して一つになれないのではないか」と、深い孤独を感じてしまう瞬間はないでしょうか。この問いは、現代を生きる私たち全員に突き付けられた、重く、そして切実なテーマです。

 

この対立や分断は、一体どこから生まれてくるのでしょう。

それは、大きな社会問題に限った話ではありません。私たちが最も安心できるはずの場所にも、その種は潜んでいます。

 

親子間の価値観の違い、夫婦間のささいな言葉のすれ違い。小さな綻びが、いつしか家庭の中に冷たい壁を作ります。同じ目標を目指すはずの職場では、立場の違いやプライドが邪魔をして、協力ではなく対立が生まれる。そして、最も悲しいことに、同じ神を信じ、愛を説くはずの教会でさえ、教義の解釈や些細な意見の対立から、人々が離れ離れになってしまうことすらあるのです。

 

自分の「正しさ」を信じる心は、尊いものです。しかし、その正義が強ければ強いほど、自分と違う意見を持つ人を「間違い」だと断罪し、対話の扉を閉ざしてしまう危険性をはらんでいます。相手を理解しようとすることをやめ、レッテルを貼り、遠ざける。その方が、ずっと楽だからです。傷つくことから自分を守る、最も簡単な方法だからです。

 

しかし、その道の先に、本当の安らぎはあるのでしょうか。

 

「どうせ分かり合えないのだから」と諦めてしまうのは、賢明な判断のように見えるかもしれません。しかし、それは同時に、未来へのあらゆる可能性を自分から手放してしまうことと同じではないでしょうか。その壁の向こう側にいる人もまた、私たちと同じように悩み、苦しみ、そして愛を求めている一人の人間なのだという事実から、目を背けてしまうことです。

 

では、希望はどこにあるのでしょう。

私はその答えの一つが、信仰や、私たちが共有できる普遍的な価値観の中にあると信じています。

 

キリスト教では、どのような思想を持ち、どのような過ちを犯した人間であろうと、全ての人が「神によって等しく愛されている存在」だと教えます。目の前にいる、到底理解できないと感じる人ですら、神様にとってはかけがえのない、愛しい子どもなのです。

 

「一つになる」とは、全員が全く同じ考え、同じ色になることではありません。赤、青、黄色、様々な色が互いの違いを認め、尊重し合いながら、一枚の美しいタペストリーを織りなしていくイメージです。

 

そのために必要なのは、自分の正しさを振りかざすことではなく、相手の痛みや背景に思いを馳せる想像力。そして、「分かり合えないかもしれない」という絶望の淵から、それでもなお「分かり合いたい」と願う、ささやかで、しかし鋼のように強い希望です。その諦めない心こそが、分断という厚い氷を溶かす、唯一の太陽となるのです。

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