SNSとフェイクニュースの時代に、信じられる「言葉」を見つける方法

 

1【指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。】2主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え/人の子らの中から/信仰のある人は消え去りました。3人は友に向かって偽りを言い/滑らかな唇、二心をもって話します。4主よ、すべて滅ぼしてください/滑らかな唇と威張って語る舌を。5彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」6主は言われます。「虐げに苦しむ者と/呻いている貧しい者のために/今、わたしは立ち上がり/彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」・・・・・・・(詩編12編)

 

SNSを開けば、誰かのきらびやかな投稿と、顔の見えない相手からの辛辣なコメント。職場では本音と建前が入り混じり、ニュースを見ても何が真実か分からない。

 

私たちは毎日、そんな「言葉の洪水」の中で生きています。たくさんの言葉に囲まれているはずなのに、かえって孤独を感じたり、「一体、何を信じればいいんだろう?」と心が疲れてしまったりすることはないでしょうか。

 

実は、この悩みは決して現代特有のものではありません。約3000年前に書かれた旧約聖書の「詩編12編」には、驚くほど現代と通じる、言葉に対する深い嘆きと希望が記されています。

 

作者であるダビデは、「主よ、お救いください。誠実な人はどこにもいなくなってしまいました」と、周りにあふれる嘘やごまかしの言葉に心を痛め、神に助けを求めました。これはまるで、無責任な情報や利己的な言葉が飛び交う現代社会で、真実を求める私たちの心の叫びのようです。

 

そんな嘆きの中で、詩編は一つの輝く希望を示します。

 

「主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。」(詩編 12:7

 

これは、神の言葉が、不純物を完全に取り除き、何度も精錬された純度100%の銀のように、絶対に信頼できる真実そのものである、という力強い宣言です。

 

考えてみてください。私たちの周りには、様々な思惑を持った言葉があふれています。

 

アクセス数を稼ぐために、事実を大げさに書いたネットニュースの見出し。

その場を取り繕うための、心にもないお世辞や相槌。

商品を売るために、都合の良い部分だけを切り取った広告のキャッチコピー。

 

しかし聖書は、そうした人間の言葉とはまったく違う、どんな時代でも変わることのない、完全に清らかな言葉があると教えてくれます。それこそが、情報社会という荒波の中で、私たちが進むべき道を照らす光であり、心のコンパスとなるのです。

 

もちろん、正直者が馬鹿を見るような風潮の中で、真実を語り、不正に「NO」と言うのは勇気がいります。「みんなが賛成している会議で、たった一人『それは本当に正しいのでしょうか』と声を上げること」や、「友人たちの間で広がる悪意のある噂話に同調せず、そっと距離を置くこと」は、孤独を感じるかもしれません。

 

しかし、詩編12編は、そんなあなたを神は決して見過ごさないと約束しています。誠実であろうとする人を守り、支えてくださるのです。

 

もし今、あなたが言葉に疲れ、何かにすがりたいと感じているなら、少しだけ時間を取り、この「七たび練り清めた銀」のような、神の言葉に耳を傾けてみませんか。詩編12編は、偽りに満ちた世界で真実の光として生きるよう、時代を超えて私たちを力強く励ましています。

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