神と共に歩む生き方 〜詩編15編が現代に伝えるメッセージ〜

 


1【賛歌。ダビデの詩。】主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り/聖なる山に住むことができるのでしょうか。2それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり3舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。4主の目にかなわないものは退け/主を畏れる人を尊び/悪事をしないとの誓いを守る人。5金を貸しても利息を取らず/賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は/とこしえに揺らぐことがないでしょう。・・・・(詩編15)

  

私たちは今、どのような時代を生きているでしょうか。SNSでは「いいね」の数が価値を決め、競争社会では結果がすべてとされ、人間関係さえも損得勘定で判断されることが珍しくありません。そんな現代だからこそ、詩編15編の言葉が新鮮な光として私たちの心に響きます。

 

「主よ、誰があなたの幕屋に宿り、誰があなたの聖なる山に住むことができるのでしょうか」

 

この問いかけは、3000年前の古代イスラエルの人々だけでなく、現代を生きる私たちにも向けられています。神の臨在の中で生きるとは、どういうことなのでしょうか。

 

真の豊かさとは何か

 

詩編15編は、神と共に歩む人の特徴を具体的に示しています。「完全な道を歩み、正義を行い、心から真実を語る人」。これは決して完璧な人間になることを求めているのではありません。むしろ、誠実に生きようとする心の姿勢こそが大切なのです。

 

現代社会では、外見や地位、財産で人を判断しがちです。しかし、この詩編が語る真の価値は、「心に真実の言葉がある」ことです。それは、自分自身に対しても、他者に対しても正直であることを意味します。

 

関係性の中で生きる

 

「舌をもって中傷せず、友人を裏切らず、親しい人を辱めない」という言葉は、現代のコミュニケーションの在り方に深い洞察を与えます。SNSでの匿名の誹謗中傷、職場での陰口、家庭内でのすれ違い...私たちの日常には、他者を傷つける機会があふれています。

 

しかし、詩編15編は別の道を示します。それは、言葉に責任を持ち、他者を大切にする生き方です。これは単なる道徳的な教えではありません。このような生き方こそが、私たち自身の心に平安をもたらし、豊かな人間関係を築く基礎となるのです。

 

変わらない価値観

 

「神を畏れない者を退け、主を畏れる人を尊び、悪いことをすると誓っても変えることなく、金を貸しても利息を取らず、無実の人を害する賄賂を受けない人」

 

これらの言葉は、現代の経済活動や社会制度にも通じる普遍的な価値を語っています。利益だけを追求するのではなく、正義と公正さを重んじる。約束を守り、弱い立場の人を守る。このような価値観は、時代が変わっても色あせることはありません。

 

希望のメッセージ

 

詩編15編の最後の言葉は、私たちに大きな希望を与えます。「これらのことを行う人は、とこしえに揺らぐことがない」。

 

これは、このような生き方を選ぶ人には、変わることのない平安と安定が約束されているという意味です。外的な環境がどのように変化しても、神と共に歩む人の内なる平安は揺らぐことがないのです。

 

今日から始められること

 

詩編15編が示す生き方は、決して遠い理想ではありません。今日から、私たちにもできることがあります。

 

一つひとつの言葉を大切にすること

他者への思いやりを忘れないこと

約束を守ること

正直であること

弱い立場の人に寄り添うこと

これらは小さな一歩に見えるかもしれませんが、神の臨在の中で生きる豊かな人生への確かな歩みなのです。

 

現代社会の複雑さの中で、私たちは時に道に迷うことがあります。しかし、詩編15編は確かな道標として、神と共に歩む喜びと平安へと私たちを導いてくれます。

 

今日、あなたも神の幕屋に宿る者として、この新しい歩みを始めてみませんか。

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