恵みの雨と命の川:20kmのシャワーランで心に刻んだこと
今朝は久しぶりの本格的なシャワーランでした。
夏の朝、雨のカーテンをくぐりぬける20キロ。新鮮な空気と冷たい雨粒が、体の隅々まで目覚めさせてくれます。
まだ見ぬ道を選んでみました。坂道を駆け上がるごとに、雨と汗が途切れることなく流れる。その様子は、まるでひとつの小さな川のよう。地面を叩く雨音、流れる汗の感覚、そして呼吸のリズム――五感すべてがこの一瞬に集中します。
ふと川沿いに目をやると、昨日からの雨で流れはさらに“川らしく”なっていました。そのせせらぎの中には、小さな生き物たちが元気に動き回っていて、自然の朝を、どこか楽し気に祝っているようでした。
こんなふうに、当たり前の朝を迎えられること。それ自体が実は大きな“恵み”であり、“奇跡”なのだと、改めて感じずにはいられません。「朝が来ること」は当然じゃない。私たちは生きようとして今日があるのではなく、何か大きな力によって“生かされている”のだと思うのです。
この世界には、昨日と同じように今日を迎えることができず旅立った方々がいます。今この瞬間にも、病床で「明日」を強く願いながら生きている人がたくさんいます。その「明日」は、私たちの「何気ない一日」と重なっています。
だからこそ、今日という日を無駄にしてはいけない。
今日も新しい命に感謝しながら、一歩一歩を大切に走っていきたい――そんな決意を胸に刻んだ、シャワーランの朝でした。
恵みの朝に、心からありがとう。
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