書評:ウィリアム・フォークナー『八月の光』
物語の舞台は、夏の焼けるような日差しが降り注ぐ1930年代のアメリカ南部、ミシシッピ州ジェファソン。物語は、二人の対照的な人物を軸に進みます。
一人は、リーナ・グローヴ。彼女はお腹に新しい命を宿しながら、その子の父親であるルーカス・バーチという男を探して、はるばるアラバマからヒッチハイクで旅をしています。リーナは素朴で、どこか達観したような穏やかさを持ち、彼女の旅は希望の光に満ちているかのようです。彼女の存在そのものが、生命の力強さを象徴しているかのようですね。
もう一人の中心人物が、この物語の暗い核となるジョー・クリスマスです。彼は製材所で働く男ですが、その過去は謎に包まれています。彼は白人のようでありながら、黒人の血が混じっているという噂に常に苛まれ、自分がいったい何者なのか、どこにも属することができないという深い孤独と怒りを抱えています。孤児院での壮絶な幼少期、そして彼を引き取った敬虔すぎる養父からの虐待的な教育は、彼の心を決定的に歪めてしまいました。
物語は、クリスマスが彼の愛人であった白人女性、ジョアンナ・バーデンを殺害したという疑いをかけられ、追われる身となるところから、一気に緊張感を増していきます。彼の逃亡劇は、リーナののどかな旅と交差しながら、南部社会が抱える人種差別や偽善、そして人間の内面に潜む暴力性を容赦なく暴き出していきます。
リーナが探し求める男、ルーカス・バーチは、実はクリスマスの同僚であり、彼もまた無責任で身勝手な男として描かれます。光(リーナ)と闇(クリスマス)、生命と死、過去と現在が複雑に絡み合い、物語は息をのむような悲劇的な結末へと突き進んでいくのです。『八月の光』というタイトルは、夏の強烈な光が落とす濃い影、そして登場人物たちが探し求める救いの「光」を象徴しており、人間の罪と贖罪、そしてアイデンティティの探求という重いテーマを、圧倒的な筆力で描ききった文学の金字塔と言えるでしょう。
キリスト教の観点から
この物語は、キリスト教の価値観が根強い南部社会で、「罪」や「救い」が人々をいかに縛り、また追い詰めるかを鋭く問いかけています。
主人公ジョー・クリスマス(J.C.)の名はイエス・キリストを彷彿とさせますが、彼は救い主どころか、社会から「原罪」のレッテルを貼られ、救いの手を差し伸べられることなく断罪されていく存在です。彼の悲劇は、律法や形式ばかりを重んじる信仰が、かえって隣人への愛や赦しといった本質を見失わせる危険性を教えてくれます。
この物語を読むと、「真の信仰とは何か?」「人を裁くとはどういうことか?」と深く考えさせられるはずです。クリスマスの苦しみを、自分とは無関係な悲劇としてではなく、私たちの信仰生活や隣人との関わり方を映し出す鏡として受け止めてみてはいかがでしょうか。そこに、信仰者として生きる上での大切なヒントが見つかるかもしれません。
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