今日の太陽が教えてくれた、私たちの還る場所
いつものように、朝の街を歩く。一通の週報をポストに投函し、見慣れた道をゆっくりと進む。そこには、いつも見かける人々の姿があった。黙々と歩みを進める一人ひとりの背中から、「今日も自分の人生を生き抜くのだ」という、静かだが力強い身体の叫びが聞こえてくるようだった。
その時、真っ赤な夏の太陽が昇った。空を燃やすようなその姿は、自らの使命をただ黙々と果たす、強烈な意志の塊のように見えた。
ふと思う。今日の予想気温は33度。あの太陽の表面は約6,000度もあるという。約1億5千万kmという、想像もつかないほどの距離を経て、6,000度の熱は、私たちが「暑い」と感じる33度の光となってこの地に届く。これですら、私たちは熱中症で倒れることがあるのだ。
この完璧な距離、この絶妙な按配は、一体誰が設計したのだろうか。
それは、私たち人間だけを生かすためではない。動物も、植物も、目に見えない微生物さえも、この地上にあるすべての命が生かされるための、創造主による大いなる采配なのだ。その御業の前に立つと、私たちの抱く「偉大さ」という言葉がいかにちっぽけであるかに気づかされる。
確かに、人間は目覚ましい文明を築き上げてきた。しかし、そのすべてを集めても、創造主の御業に比べれば、まるで幼稚園児が砂浜でつくるお城のようなものだ。私たちは決して、あの太陽を創ることも、この絶妙な地球環境を再現することもできない。
だからこそ、私たちは知るのだ。自らの立つべき場所を。
私たちのなすべきことは、この計り知れない偉大さの前で、ただ謙虚になること。そして、この世界を創られた真の神を心から畏れ、敬い、その御業を讃えることだ。
今日の太陽は、私たちに教えてくれる。私たちは一人で生きているのではない。街で出会う人々、道端の草木、そしてこの世界を支える大いなる存在と共に生かされているのだと。互いに愛し合い、自然を慈しみ、自分の立場をわきまえながら謙虚に生きる。それこそが、創造主が私たちに望んでおられる、最も美しい生き方なのだろう。
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