『佐賀のがばいばあちゃん』島田洋七
島田洋七氏(本名:徳永昭広)による自伝的小説『佐賀のがばいばあちゃん』は、戦後の混乱期、広島で原爆により父を亡くし、母親の手で育てられていた著者が、小学校二年生の時に突然、佐賀県に住む祖母(おさのばあちゃん)のもとに預けられるところから始まる物語です。極度の貧乏暮らしの中、底抜けに明るく、たくましい知恵とユーモア、そして深い愛情で孫を育て上げた「がばい(佐賀弁で「すごい」の意)」ばあちゃんとの八年間の暮らしを、笑いと涙、そして温かい感動と共に描いた作品であり、多くの読者に生きる力と元気を与え続けているベストセラーです。
1. 突然の佐賀行きと、おさのばあちゃんとの出会い
物語の語り手である徳永昭広(後の島田洋七)は、広島で母親と二人暮らし。原爆で父を亡くし、母は小さな居酒屋を切り盛りして懸命に昭広を育てていました。しかし、昭和33年のある夜、仕事から帰ってきた母は、駅で待つ叔父に昭広を引き渡します。「これで佐賀のおばあちゃんとこに行きなさい」。事情も分からぬまま、夜汽車に乗せられた昭広少年。それは、彼を一人前に育てるためには、自分の手元よりも佐賀の祖母に託す方が良いと考えた母の、苦渋の決断でした。
佐賀に到着し、初めて会う祖母・徳永サノ(おさのばあちゃん)は、小柄で腰の曲がった、しかしどこかエネルギッシュな印象の女性でした。彼女が住む家は、川沿いに建つボロボロの小屋。家の中も、お世辞にも裕福とは言えない、質素そのものでした。昭広は、これから始まるであろう厳しい生活に不安を覚えます。しかし、そんな孫の心を見透かすように、ばあちゃんはケラケラと笑い飛ばし、こう言います。「心配すんな。うちは先祖代々、明るい貧乏だからな!」。これが、昭広と「がばいばあちゃん」との、波乱万丈ながらも愛情に満ちた生活の始まりでした。
2. がばい(すごい)ばあちゃんの人物像と驚きの生活哲学
おさのばあちゃんは、まさに「がばい」という言葉がぴったりの人物でした。
超ポジティブ思考: どんな困難な状況でも、決してめげたり愚痴をこぼしたりしません。貧乏であることを嘆くどころか、それを笑いに変え、楽しむくらいの気概を持っています。「貧乏には明るい貧乏と暗い貧乏がある。うちは明るい貧乏だから大丈夫!」というのが口癖でした。
驚きの生活の知恵(サバイバル術): ばあちゃんの家計を支えるのは、近所の学校や病院の掃除婦などの仕事。しかし、それだけでは到底食べていけません。そこで、ばあちゃんは驚くべき方法で食料や生活物資を調達します。家の前を流れる川を「スーパーマーケット」と呼び、上流の市場から流れてくる傷んだ野菜や果物(売り物にならないクズ)を、腰に紐を巻きつけて川に入り、待ち構えて拾い上げます。「もったいない」が口癖で、食べられるものは何でも工夫して食卓に乗せました。川底に磁石を沈めて釘や鉄くずを拾い集め、それを売ってお金に換えることもありました。「世の中にはな、拾うもんしかないとたい」。
ユーモアと機転: 貧乏を隠すのではなく、むしろユーモアで笑い飛ばします。米びつが空っぽでも、蓋の裏に鏡を貼り付け、「ほら、まだこんなにある!」と昭広に見せて安心させたり(実際は映っているだけ)、運動会のお弁当が梅干しとゴマ塩だけの日の丸弁当でも、「これは日本の国旗弁当たい!」と胸を張ったり。その機転と明るさが、貧しい暮らしの辛さを和らげていました。
深い愛情と優しさ: ばあちゃんは、自分のことよりも常に周りの人を気遣います。家に食べ物がなくても、近所の人が困っていれば「腹が減ったらうちに来なさい」と声をかけます。昭広に対しても、厳しく躾ける一方で、深い愛情を持って接します。成績が悪くても「1と2ばっかりでも、足したら5になるけん大丈夫たい!」と励まし、昭広が野球に夢中になれば、なけなしのお金でグローブを買ってやろうとします。そして、「本当の優しさとは、人に気づかれないようにやることだ」と教えます。
独自の人生哲学: ばあちゃんの言葉には、人生をたくましく生き抜くための知恵と哲学が詰まっています。「人に笑われるような人間になれ。本気で笑われるような人間になれ」「つらいことがあったら、寝てしまえ。起きたら少しは忘れとる」「夢を見るな。夢は追いかけるもんたい」「泳げんでも、川で死にはせん。水は満ちたら引くもんたい」など、シンプルながらも核心を突く言葉の数々は、昭広だけでなく、多くの読者の心にも響きます。
3. 貧乏だけど笑いが絶えない日々:心温まるエピソード
本書には、貧乏ながらも明るく生きるばあちゃんと昭広の、笑いと涙のエピソードが満載です。
川のスーパーマーケット: 大根の葉っぱが大量に流れてくれば「今日は菜っ葉祭りだ!」と喜び、傷んだトマトが流れてくればケチャップを作る。時には豆腐のパックや、なぜか片方だけの靴が流れてくることも。それらをユーモアたっぷりに語るばあちゃんの姿は、貧しさを感じさせません。
運動会の弁当: 友達の豪華な弁当を羨ましがる昭広に、ばあちゃんは「比べるな。お前はこれでいい」と言い、梅干しだけの弁当を持たせます。しかし、担任の先生が気を利かせ、自分の弁当のおかず(卵焼きやウインナー)を昭広の弁当にこっそり入れてくれるという、心温まる場面があります。これは「気づかれない優しさ」の実践でもありました。
テストの珍回答: 算数のテストで「5-5=?」という問題に「0」と書くべきところ、昭広が「もったいない!」と書いてしまい、先生に呼び出されます。しかし、ばあちゃんは「うちの子は賢か!『もったいない』を知っとる!」と逆に先生を感心させてしまいます。
作文「僕のおばあちゃん」: 作文の授業で、昭広は正直に「僕のおばあちゃんは、川から野菜を拾ってきます」と書きます。クラスメイトに笑われるかと心配しますが、先生は「徳永君のおばあさんは、とても素晴らしい方です。物を大切にする心、生きる知恵を君に教えてくれているのですね」と褒めてくれ、ばあちゃんも「正直に書いたお前は偉い!」と喜びます。
高価なグローブ: 野球部に入った昭広が、友達の立派なグローブを羨ましがっていると、ある日、ばあちゃんが「拾ってきた」と言って新品のグローブを渡します。しかし、それはばあちゃんが、なけなしのお金を叩いて買ってくれたものでした。後でそのことを知った昭広は、ばあちゃんの深い愛情に涙します。
近所の人々との助け合い: 貧しいながらも、近所の人々とは互いに助け合って暮らしています。豆腐屋さんが売れ残りの豆腐をくれたり、農家の人が野菜を分けてくれたり。ばあちゃんも、困っている人がいれば、自分の食べるものがなくても「うちに泊まっていきんしゃい」と声をかけるような人でした。お金はなくても、心の繋がりは豊かでした。
これらのエピソードは、時に切なく、時に大笑いさせられますが、一貫して流れているのは、どんな状況でも前向きに生きる人間のたくましさと、人の温かさです。
4. 昭広の成長とばあちゃんとの別れ
ばあちゃんの元での八年間は、昭広にとって人間形成の重要な時期でした。最初は戸惑いながらも、ばあちゃんの底抜けの明るさと愛情、そして生きるための知恵に触れる中で、昭広はたくましく成長していきます。貧乏であることを恥じるのではなく、むしろそれをバネにして努力すること、人を思いやること、ユーモアを持って困難を乗り越えることを学びました。
特に野球に打ち込んだ昭広は、その才能を開花させ、スポーツ推薦で広島の強豪高校へ進学することが決まります。それは、ばあちゃんとの別れを意味していました。出発の日、ばあちゃんはいつものように明るく振る舞いますが、駅のホームで昭広が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていました。昭広の目には、涙があふれていました。
5. ばあちゃんが遺したものと現代へのメッセージ
昭広(島田洋七)は、その後、漫才コンビ「B&B」として大成功を収めます。彼が多くの人に愛される芸人となれた背景には、佐賀でのばあちゃんとの暮らしで培われた、ユーモアのセンス、人間味あふれる温かさ、そして逆境に負けない精神力があったことは間違いありません。
『佐賀のがばいばあちゃん』は、単なる貧乏物語や昔の思い出話ではありません。この物語が時代を超えて多くの人々の心を打つのは、そこに現代社会が忘れかけている大切なものが描かれているからです。
生きる力: 物やお金がなくても、知恵と工夫、そして明るさがあれば生きていけるという、人間の根源的なたくましさ。
本当の豊かさ: 物質的な豊かさではなく、家族の愛情、人との繋がり、心の持ち方こそが人生を豊かにするというメッセージ。
感謝の心: 食べ物への感謝、人への感謝、生きていることへの感謝。ばあちゃんの「もったいない」精神は、物に溢れた現代への警鐘とも言えます。
ユーモアの力: どんな困難な状況も、笑い飛ばすことで乗り越えられるという、ユーモアの持つポジティブな力。
教育の本質: 学歴や成績だけでなく、人間として大切なこと(思いやり、正直さ、たくましさ)を教えることの重要性。
6. まとめ
『佐賀のがばいばあちゃん』は、戦後の貧しい時代を生きた一人のたくましい女性と、その孫の心温まる交流を描いた物語です。極貧の生活の中にあっても、常に笑顔とユーモアを忘れず、深い愛情と人生の知恵で孫を育て上げたおさのばあちゃんの姿は、私たちに「本当の豊かさとは何か」「強く、優しく生きるとはどういうことか」を教えてくれます。
読者は、昭広少年と共に笑い、涙し、そして最後には心がじんわりと温かくなり、明日を生きるための元気をもらえるはずです。物質的には恵まれていても、どこか閉塞感や生きづらさを感じる現代人にとって、ばあちゃんの「がばい」生き様と言葉は、人生を前向きに捉え直すための大きなヒントを与えてくれる、まさに「人生の応援歌」のような一冊と言えるでしょう。
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