【早朝ランの哲学】梅雨空の下、流れる川と働く身体の美しさ
今朝は、ぐっと冷え込むかと思いきや、梅雨が戻ってきたかのような小雨模様。シャワーランとまではいきませんが、しっとりとした空気の中、4時半にはランニングウェアに身を包んでいました。今日の目的地は、凛とした佇まいの仙台城方面。この時間帯の薄明かりの中を走るのは、なんとも言えない清々しさがあります。
広瀬川沿いを走っていると、ふと新しい道が目に留まりました。好奇心に駆られてそちらへ足を向けると、そこには水量が増した広瀬川の、力強い流れがありました。「ああ、川だなぁ」と、改めてその存在感を実感。
川って、本当に不思議ですよね。水が流れ続けてこそ、その美しい姿を保つことができます。もし流れが止まってしまえば、たちまち澱んだ池になってしまう。常に動き続けることで、清らかで、そして生命力にあふれた「川らしさ」が生まれるのです。
この「流れる」という姿は、私たち人間にも通じるものがあるように感じます。人は、本来「働く」ように創造された生き物なのだと、つくづく思うのです。自分のためであろうと、誰かのためであろうと関係なく、何かを成し遂げようと動いているその姿は、それだけで尊く、そして美しい。私たちは、働くことで人生という名の川を、澱ませることなく流し続けているのかもしれません。
さて、ランナーの足元といえば、長距離を走る人の足は、常に「戦いの証」をまとっています。爪が剥がれたり、水ぶくれができたり…爪のケアなんて、とっくの昔に諦めて、「ありのまま」を受け入れています。
でも、ここにもまた、生命の神秘が宿っているんですよね。大人の歯は一度抜けてしまったらもう生えてこないのに、足の爪だけは、何度剥がれてもまた健気に伸びてきてくれる。特に親指の爪は、ランナーにとって本当に大切な存在なんです。これがなくなると、走る時のバランスが大きく崩れてしまう。
「人間って、本当によくできてるなぁ」と、雨の中を走りながら、改めて感嘆のため息が出ました。身体の部位それぞれが異なる働きを持ち、独自の機能を持っている。これは、どんなに優れた建築家やデザイナーにも、決して設計できないような、まさに神秘的な領域です。
そして、そんな計り知れない神秘が宿るこの身体が、今日もまた、ごくごく平凡な日々の営み、たとえば早朝ランニングのような、当たり前の行動によって生かされている。これもまた、考えてみれば不思議なことですよね。
雨上がりのしっとりとした空気の中、今日も神様に、家族に、そして自分の身体と心に感謝しながら、明日もまた、この「平凡な営み」を楽しもうと心に誓った、そんな朝でした。皆さんも、日々の「働く」営みの中に、自分だけの美しさを見つけてみてくださいね!今日も主の祝福と恵みと平和と恵みの内に過ごされますように・・・
今日の朝ランは20.45kmでした。
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