午前3時。愛犬ノアとの散歩は、静けさが支配する小雨の中で始まりました。湿った空気がじんわりと肌にしみ込み、どこか心まで染み入るような感覚に包まれました。「今日は、このまま穏やかに過ぎていくのかな」そんな期待を胸に歩みを進めた、その瞬間でした。空が一瞬にして表情を変え、やわらかな小雨はバケツをひっくり返したような激しい土砂降りへと変貌を遂げました。
あっという間に、僕もノアもずぶ濡れです。普通なら「なんてこった!」と急いで家に引き返すところですが、不思議と悪い気はしませんでした。むしろ、久しぶりに全身で感じる雨の勢いに、少し嬉しくなっている自分がいたのです。
「この雨で、広瀬川の水かさが増すだろうな」
そう思うと、想像が広がります。川に浮かぶハクチョウやシロサギ、のんびり屋のアヒルたち。水中の魚たちも、きっとこの恵みの雨を喜んでいるに違いありません。自分の足元で起きている出来事が、もっと大きな世界の喜びと繋がっている。そう考えると、雨に濡れることさえも、なんだか豊かな体験に思えてくるから不思議です。
さて、そんなわけで今日のランニングは潔くお休み。代わりに、机に向かってじっくりと執筆活動に集中する一日に決めました。最近、ありがたいことに書く仕事が増え、夢中でキーボードを叩いていると、本当にあっという間に時間が溶けていきます。
でも、どんなに夢中になっても「これだけは」と決めているのが、毎日の 255階段トレーニング。
私たちの心や体、そしてもっと深いところにある魂の状態は、放っておいたらすぐにバランスを崩してしまいます。良い状態を保つためには、自動運転に任せるのではなく、ちょっとした「工夫」が必要です。
そして、その工夫を続けるために欠かせないのが「やる気」です。
努力はもちろん大事。でも、その努力のエンジンとなる「やる気」がなければ、私たちは一歩も前に進めません。問題は、この「やる気」が気まぐれなこと。だからこそ、「どうすれば、いつでも自分の意志で『やる気スイッチ』を押せるのか?」が、私たちみんなにとっての永遠のテーマなのかもしれません。
雨の日の散歩。机に向かう時間。地道なトレーニング。
そんな一つひとつの積み重ねの中で、思うのです。
今日も、生きること。
それこそが、すべての始まりなのだと。
命がある限り、私たちは希望を持つことができます。そして、心の中に「希望」という小さな灯火を宿すことができるなら、それが「生きる意味」に変わっていく。
「生きる意味」なんて言うと難しく聞こえるかもしれませんが、そんなに大袈裟なことじゃなくていいんです。「川の魚が喜ぶから、雨の日も悪くないな」と思えること。それだって、立派な生きる意味。その小さな意味を見つけられた人は、今日一日を、もう少しだけ頑張ってみようと思えるのです。
さあ、あなたも私も、今日という尊い一日の中に、自分だけの小さな希望を見つけて、しっかりと歩んでいきましょう。
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