生きる意味

 


走ること、生きること、そして神の栄光のために

今日は「散歩の日」。
5日ランニングで十分だと感じたからです。累積100km。夏は週100kmを、冬は150km走ると決めています。そして秋と冬には月1回、フルマラソンで4時間以内完走を目標にして走っています。(普通に走っていますので挑戦ではないですね)。

企画も、実行も、判断もすべて自分。ひとりでやり抜く人生です。

 

しかし、その背後におられる方を忘れたことはありません。
人の命を左右できる主なる神様の前では、常に畏れ敬う心を持ち続けています。うぬぼれず、人を見下さず、相手が子どもであっても高齢者であっても、神様の創造物として尊敬することを心がけています。




主の日の朝に見た風景

今日は礼拝の日。朝の散歩で、歩く人、走る人、犬を連れている人様々な姿に出会いました。
それは皆、生きるための仕草であり、生きるための姿です。

けれども、多くの人は何のために生きるのかを知りません。目的も意味もわからず、ただ日々を過ごしているのです。




生きる意味

キリスト者は、神様の栄光のために生きる存在です。そこに本当の価値と意味があります。そして神様の栄光を最も現す方法は、主なる神様を愛し、隣人を自分のように愛すること。この愛こそが、私の夢や目標よりもずっと大切なものです。

これが私を生かす原動力です。




今日も生きる

今日も生きます。
主のために、隣人のために。
走ることも、歩くことも、その一歩一歩を神様の栄光のために捧げながら。

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