『夏の雨』(原題: L’été 80)マルグリット・デュラス




『夏の雨』(原題: L’été 80)マルグリット・デュラス

 舞台は、パリ郊外のヴィトリー。移民の家族が、まるで世界の片隅で忘れ去られたかのように暮らしています。両親とたくさんの子どもたちは、貧しさの中にありながらも、どこか原始的で濃密な関係性の中で生きています。

 

物語が大きく動き出すのは、学校に通ったことのない長男のエルネストが、ある日突然「学校では僕の知らないことを教えるから行かない」と言い放つ場面から。この逆説的な言葉は、社会が与える「知識」に対する、根源的な拒絶を表しています。

 

そんなエルネストは、偶然手にした一冊の本から、独学で文字の読み方を学びます。その本に書かれていたのは、ただ一つのこと――「愛」についてでした。学校教育では決して得られない、この絶対的で燃えるような「知」は、エルネストという存在を、そして彼と家族、特に年の近い妹との関係性を根底から揺さぶります。彼が手にした「愛」の知識は、純粋であるがゆえに激しく、そして社会の常識や道徳観では測れない、どこか禁じられた領域にまで踏み込んでいくのです。

 

この物語は、社会の枠組みからこぼれ落ちた人々が、教育や常識では測れない「知」――つまり、生きることそのものの根源にある愛と絶望――にどう向き合うかを描き出します。デュラス特有の、削ぎ落とされた言葉と沈黙の間に漂う濃密な感情。それはまるで、夏の日に突然降り注ぎ、乾いた地面を瞬く間に濡らしていく激しい雨のように、抗いがたく、すべてを飲み込んでしまう圧倒的な愛の物語です。

 

キリスト教の視点から

この物語は、制度的な「知識」を超えた「一つの言葉(愛)」が、一人の少年を根底から変える様を描きます。キリスト教で最も大切な価値である「愛」が、ここでは人間的な激しさと危うさを伴う炎として表現されており、私たちに、神が示す無償の愛(アガペー)と人間の愛(エロス)の違いについて深く問いかけます。

 

私たちが聖書を読むとき、それは単なる文字の羅列でしょうか。それとも、エルネストのように人生を変えるほどの「生きた言葉」として心に届いているでしょうか。社会の価値観の中ではなく、神との対話の中にこそ、真の知恵と安らぎが宿ることを改めて考えさせられる一冊です。 

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