36kmの朝ラン、そして人生の「なぜ?」を問う秋分の日
秋分の日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。私にとっての今日は、いつもより少し特別な一日となりました。朝から36kmのランニングを敢行。走り終えた後の達成感は格別ですが、体は正直なもので、ロボットでない限り、人間にはしっかりとした回復時間が必要です。
身体と心のジレンマ
しかし、ここに一つのジレンマが生まれます。体の声を聞き、休むべきだと頭では理解しているのに、心が「まだいける」「もっと動きたい」と囁くのです。私の場合は、心が体を引っ張っていくことが多く、つい無理をしてしまいがち。その結果、どこかしらに不調をきたす…なんて経験は、きっと私だけではないでしょう。自分の意志だけでその衝動をコントロールするのは案外難しいものです。まるで強制的なストッパーがないと、走り続けてしまうような感覚。
だからこそ、冷静に考える時間が必要でした。明日はランニングではなく、大年寺階段を使ったトレーニングとウォーキングに切り替える。約1時間の適度な運動で、心身のリカバリーを図る、という計画を立てました。
問題は…この計画を私が守れるかどうか、ですね(笑)。きっと明日、走り出したくなる衝動に駆られるかもしれません。よくあるパターンです。
人生の「主人公」と「エキストラ」
でも、実はこの「明日走るか走らないか」は、私にとってそれほど重要なことではありません。もっと大切なのは、
- 何のために走るのか?
- 何のために食べるのか?
- 何のために生きるのか?
という、人生の根本的な問いに明白に答えることができるかどうか、です。これこそが、人生において最も肝心なことだと私は考えています。そして、その答えを見つけることができたら、あとはその答えに従って生きるだけ。
幸いなことに、私はこの肝心な問いの答えを見つけ出し、その通りに生きるために日々努力しています。だから、ランニングをすること、家の掃除をすること、料理をすること、あるいは「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」への祈りの旅を計画すること。これらすべては、私の人生の「肝心な柱」を支えるための働きであり、「エキストラ」に過ぎません。
エキストラが主人公になってしまったら、その舞台は台無しになってしまうでしょう。大切なのは、主人公がより良い演技をするために、エキストラがそれぞれの役割を果たすこと。私の人生の主人公は、明確な「なぜ?」を持っているからこそ、日々の些細な活動も意味を持ち、輝きを放つのです。
今日の感謝
さて、今日は秋分の日らしい心地よい風が吹き、とても気持ちの良い一日となりました。あまりに気持ち良くて眠気が襲ってきて、それを追い出すために何度も掃除をしてしまいました。愛犬のノアは、頻繁に掃除をする私を見て「また始まった」と言いたげな、呆れたような顔をしていましたが(笑)。
今日も、こうして生きていることに心から感謝します。
主のために、家族のために、教会のために、そして自分のためにも…
明日もまた、私の人生の「なぜ?」を胸に、一歩を踏み出していきたいと思います。
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