雨でも走る日 — 八幡宮までの22キロと、自分の道

 


雨でも走る日八幡宮までの22キロと、自分の道

今日は本来、休足の日にしていた。朝の空模様はどんより、雨もぱらついている。普通なら迷うところだが、結局シューズを履き、教会を出た。結果は、八幡宮までの22キロ完走。いわゆる「シャワーラン」になり、全身が雨に洗われるような心地よさがあった。

走っている最中は、雨粒が顔を叩き、靴底が湿った路面を掴む感覚、雨に濡れた土の匂いが混ざり合い、いつもとは違う鮮烈さがあった。走り終えたあとの爽快感は言葉に尽くせない。「走ってよかった」と胸の底から思える瞬間だ。

 

今日はいつもの顔ぶれが見えなかった。だが、それでも走っている人はいた。黙々とペースを刻む人、時折会釈する人。離れていても、互いの存在が良い刺激になる。誰かの頑張りが、自分の一歩を後押しすることは何度も経験してきた。

 

互いに良い影響を与えてくれる人もいれば、逆に悪影響で一緒に沈んでしまうこともある。それがこの世界の現実だ。だからといって、人のことをとやかく言うつもりはない。自分の生き方を見つめ、淡々と実行する。それで十分だ。

 

他人が何を着ようと、何を食べようと、何を言おうと、それはその人の選択だ。気になる人もいるだろうけれど、自分は自分の道を歩き続ける。今日も、明日も、その次の日も——一歩ずつ、雨を受け止めながら。

 

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