雨の前の散歩と、教会の未来を想う日
今朝は雨が降る前に、愛犬ノアとの散歩に出かけました。しとしとと降り出す前に帰宅できたのは幸運。そして家に着くと、日付はもう変わっていて、今日は祝日。よし、今日はゆっくり休む日としよう、と心に決めました。昨日はシャワーランで体を動かしたばかりだったけれど、頭の中は別のことでいっぱいでした。
昨夜、一本の電話が私の心を深く揺さぶりました。以前、私が牧会していた和歌山県の教会の青年からの連絡です。懐かしい声に、教会の近況を聞かせてもらいました。しかし、その内容は、喜びよりも切なさが込み上げてくるものでした。なんと、昨日の礼拝はたった5名。最近は常に10名以下だというのです。
地方の教会が直面する厳しい現実。御坊は仏教が強い地域柄ということもあり、その影響も大きいのかもしれない、と一瞬頭をよぎりました。しかし、ふと考え直しました。土地柄だけが理由なのだろうか?私がそこにいた頃は、毎週30名の方々が礼拝に集い、クリスマスの礼拝には100名を超える人々で溢れかえっていた、あの教会です。それが今や…。
もちろん、教会員の高齢化が進んでいるのも事実です。それは、今私が仕えているこの教会でも同じ悩みを抱えています。この先、教会の未来はどうなるのだろうか?漠然とした不安が胸をよぎります。
けれど、ただ立ち止まって悩んでいるだけでは何も解決しません。大切なのは、**「どうすれば人々が集まる教会になるのか?」**と、未来に向かって考え、行動することです。絶えず祈ることはもちろんですが、それだけでは足りません。
教会は、良くも悪くも「変化」に対してとても慎重な場所です。時代の変化のスピードに、ついていけていない面があることも否めません。私は、教会には「変えてはいけない核となる部分」と、「変えるべきである部分」があると考えています。問題は、変えるべき部分があるにもかかわらず、多くの教会員がその変化を望まないことにあります。
なぜなら、「変化」には必ず「犠牲」が伴うからです。慣れ親しんだやり方、心地よい雰囲気、そこから一歩踏み出すことには、勇気と労力が必要になります。多くの人は、今のままで良い、と安住を選びがちです。新しいことを受け入れるよりも、現状維持を望む。その結果、初めて教会を訪れた人々が、その閉鎖的な雰囲気に居心地の悪さを感じ、定着しないという現実が生まれてしまうのです。
これでは、教会が成長することは非常に難しい。そのような厳しい環境に置かれているのは、全国の多くの教会で共通している問題かもしれません。
しかし、私は決して諦めません。この現実を直視し、教会が変化することの重要性を、一人ひとりの教会員に気づかせていくことが、今の私の使命だと強く感じています。犠牲を恐れず、未来へと向かう勇気を持つこと。それが、愛する教会が再び輝き、多くの人々を迎え入れる場所となるための第一歩だと信じています。
ノアとの散歩で心を整え、祝日の静けさの中で、改めて教会の未来のために祈り、考え続ける一日です。
コメント
コメントを投稿