深夜の目覚めと、今日も生きる喜び
0時15分に目が覚めたとき、すっと静けさが胸に広がった。迷わず起き上がり、いつもの日課を淡々と始める。まず祈りをささげ、部屋を整え、静かな街を少し歩く。聖書をひと節読み、朝の言葉を胸に刻んでからランニングに出る──そんな一連のリズムが、私の一日を形作っている。
今日は別のコースを選んでみた。見慣れた道とは違う風景が、いつもの呼吸を新しいものに変えてくれる。朝の光が木々の隙間から差し込み、舗道をたどる足音が遠くへと続いていく感覚。新しい道を走ることには、日常に小さな冒険を招く力がある。
ただ、三日連続でランニングを続けてきた体は少しだけ応えを示している。いつもより心拍が上がりやすく、脚にも重さを感じる。そこでこれからは無理をせず、体の声に耳を傾けながら走ることにした。ペースを落とし、呼吸を整え、風と陽を受けながら一歩一歩を刻む。その中で気づくのは、持続することの尊さと、休むことの賢さが同じくらい大切だということだ。
まだ夏のランニングウェアのまま走れる気温。汗の量は少し減ったけれど、走ればやはり汗が流れる。その汗は、ただの水分ではなく「今日の人生生きるためのウオーミングアップ」という証しだ。祈りと掃除、聖書の言葉、そして体を動かすこと──小さな習慣が積み重なり、私の一日を支えている。
朝の静けさの中で感じるのは、日々の営みの尊さと、生きていることへの感謝だ。大きな出来事がなくとも、こうして目が覚め、歩き、祈り、走ることができる。それだけで満ち足りている瞬間が確かにある。
今日もまた、息をし、足を前へ出す。静かに、しかし確かに、今日も生きる。
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