心の四季を旅する

 


心の四季を旅する:内なる天気予報を自分で作るということ

ノアとの早朝の散歩。ひんやりとした朝の空気が頬を撫で、思わず身震いします。ああ、冬の気配。しかし、太陽が顔を出すと、その光はたちまち大地を温め、肌に心地よいぬくもりを与えてくれました。

そんな日差しを浴びながら、ふと、人間の心にも四季があるように感じました。

私たちは、凍える冬には、太陽の温かい抱擁を欲しがります。
じりじりと照りつける夏には、涼しい日陰や、太陽を遮る慈悲深い雲を求めます。
そして、心地よい秋や、芽吹きの春には、その両方をありがたく、美しいものとして受け入れることができる。

けれども、私たち「心」の四季は、自然の摂理のように必ず時を経て訪れるものではありません。ここが、私たちの心の不思議であり、同時に可能性を秘めた場所でもあります。

 


冷たい風が吹き荒れる「心の冬」が続くこともあれば、焦燥に駆られる「心の夏」が長引くこともある。自然の四季とは異なり、心の四季は、必ずしも私たちが望むペースで移り変わってはくれないのです。

しかし、このことはネガティブな側面ばかりではありません。むしろ、そこには大きなプラスの可能性が隠されています。

なぜなら、私たちの心の四季は、ある意味で「人工的にコントロールできる」からです。

つまり、肌を刺すような「心の寒さ」も、すべてを溶かすような「心の暖かさ」も、厳しい日差しを遮る「安らぎの雲」も、頬を撫でる「穏やかな涼風」も、すべては私たち自身が、その内側に作り出すことができるということ。

それは、自分の周りを取り巻く環境や状況に左右されるものではありません。
大切なのは、心の持ち方、心の目、そして心の健康なのです。

外界が嵐でも、心の中に静かな湖を持つことはできる。
外がどんなに温かくても、心の中に凍てつく風を吹かせることもできてしまう。

このことに気づくと、日々の過ごし方、物事への向き合い方が変わってきます。

 


今日は、久しぶりにゆっくりと時間が流れる朝でした。
まもなく訪れる「祈りの旅」に向けて、静かに準備を整えます。ノアの餌も忘れずに買い込みました。

最近、家族にも好評だったチキンサラダやポテトサラダ。そして、ちょっとした贅沢のチーズケーキと、栄養満点のキャロットパウンドケーキ。これらをすべて心を込めて作り終えてから、私は3週間の旅に出ることにしました。

一見すると、旅の準備という「作業」に過ぎないかもしれません。
しかし、この一つ一つの準備もまた、私にとって「心の四季」を慈しむ時間なのです。
心を込めて料理をする時間は、私の中に温かい春の陽だまりを生み出してくれます。ノアの世話をする時間は、私を夏の木陰のような穏やかさで包んでくれます。

私たちは、誰かに与えられるのを待つだけでなく、自分で自分の心に、望む季節を呼び込むことができる。それが信仰に力です。常に主なる神様に助けられ、導かれ前に進められる。これこそ最高の人生と言えるのです。



今日、神様によって与えられたこの穏やかな朝に、改めてその真理を心に刻みました。

さあ、心の中の天気予報を、一番心地よい季節にセットして、新しい一日、そして新しい旅へ出発しましょう。主の栄光のために。

 

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