第9回目の祈りの旅

 

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。(詩編1211-3

 

2014年から始まったサンティアゴ・デ・コンポステーラ祈りの旅は、私にとって信仰と人生を深く形づくる大きな経験となりました。これまでの旅の中で、多くの出来事、時には命の危険を伴うアクシデントもありました。しかし振り返ってみると、そのすべての中で神が確かに守り、導いてくださったことを心から証しします。ある年、夜明け前の真っ暗な道を歩いていた時、突然沼地に足を取られ、動けなくなったことがありました。冷たい水と泥に包まれ、迫ってくる死の影を真剣に考えた瞬間でした。しかし、自力で抜け出すことができました。それは「まだお前の時ではない」という神の静かな声を聞いたような体験でした。また、夜中に若者5人組にパスポートとお金を奪われたこともありました。必死に追いかけ、とりあえずパスポートだけは取り戻せました。失ったものもありましたが、守られたものはもっと重要な「命と巡礼そのもの」でした。

 

帰国途上でも困難はありました。サンティアゴからパリ経由で日本へ帰る予定が、飛行機の遅れで乗り継ぎに失敗しました。空港で新たに高額なチケットを購入して帰国しました。この時も、ただ不運と見るのではなく、「神は私の計画ではなく、神の計画がある」という確信を深める機会となりました。実際に本来乗るべき飛行機より早く日本に着いて余裕をもって次の礼拝に備えることができました。フランスでは道に迷い、20キロも別方向へ進んでしまったことがありました。人気も車もない雪景色の中、一台の車が現れ、巡礼路まで戻してくれました。私にとっては、まぎれもなく神が送ってくださった「天使」としか思えません。

 

その他にも、帰国日を勘違いして夜中にサンティアゴ・デ・コンポステーラからマドリード空港まで約500キロをタクシーで移動したこと、費用のことを思うと笑うしかない出来事もありました。そして昨年、巡礼の宿泊施設で突然倒れ、救急車で病院に運ばれました。人生初の救急車をスペインで経験したわけです。検査の結果は異常なし。原因は、長旅の疲れを抱えたまま初日から40キロを歩くという無理がたたったものでした。この体験から、今後は強行な巡礼を避け、特に最初の二日間の移動後には休息日を取ると決めました。

 

これらの出来事を通して、私は失ったものよりはるかに多くのことを得ました。人の優しさ、危険の只中で働く神の守り、そして自分の限界を知る知恵。何より、この旅は私の牧会の力の源となっています。苦しむ人、迷う人、疲れ果てた人に寄り添う力は、この巡礼での経験から生まれました。私はこの旅で、自分がいかに弱く、しかし神の恵みによって強くされるかを学びました。これからも、サンティアゴ・デ・コンポステーラの道を歩む者として、そして牧師として、人々に神の守りの確かさを語り続けたいと思います。私が歩むすべての道に伴われる神の愛こそが、私の証しなのです。

 

見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:4-8

 

今回は「銀の道」の半分であるセビリアからサラマンカまでの約500キロの祈りの旅です。

それでは、行ってまいります!

 

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