この場所でしか得られない「3つの宝物」

 


この場所でしか得られない「3つの宝物」

1. 魂の「呼吸」を整える場所(絶えざる祈り)

私たちは一歩教会の外へ出ると、驚くほど多くの「不安を煽る声」に晒されます。「老後は大丈夫か」「病気になったらどうする」「乗り遅れるな」。まるで保険のCMのように、私たちの心は「もしもの恐怖」でパンパンに膨らんでしまいます。

私たちがここに集う第一の理由は、その「不安の呼吸」を止め、**「神様との対話という、本来の呼吸」**を取り戻すためです。 特に私たちが大切にしているのは、自分のためだけでなく、誰かのために祈る「執り成しの祈り」です。誰かのために祈るとき、不思議なことに、自分を縛り付けていた小さな悩みから解放されます。祈りは、偽りの言葉から心を守る「盾」なのです。

2. 魂の「本物のパン」を味わう場所(御言葉の黙想)

現代は情報に溢れていますが、その多くは私たちの「頭」を疲れさせるだけで、「魂」を強くはしてくれません。中には、正当な教会を装いながら、巧妙に真理を歪めて人々の心を奪うような教えも存在します。私たちが集う第二の理由は、「霊の糧(パン)」である聖書の言葉を、ゆっくりと噛み締めるためです。 御言葉を黙想することは、単なる勉強ではありません。それは、自分の内側に「真理の物差し」を養うことです。日々、この本物のパンを味わっている人は、偽物の教えが放つ異和感に気づくことができます。私たちはここで、一週間を生き抜くための、本当の栄養を蓄えるのです。

3. 「愛」という翼を広げる練習をする場所(愛の実践)

キリスト教の真理は、頭で理解するだけでは不十分です。それは、実際に「生きてみる」ことで初めてその輝きを放ちます。

私たちはここで、「愛の実践」という練習をします。 教会には、様々な年齢や背景を持つ人が集まります。時には耳が遠くなって聞き取りにくさを感じる方もいれば、心に重荷を背負った方もいます。その方々と共に過ごし、小さなお手伝いをし、寄り添う。その実践こそが、この世の歪んだ価値観に対抗する最大の武器になります。

かつてお話しした「アホウドリ(信天翁)」のように、私たちは地上では少し不器用かもしれません。しかし、ここで祈り、御言葉を食べ、愛を実践することで、私たちは「信仰の翼」を整えています。人生にどんな逆風が吹いても、その風に乗って、誰よりも高く、自由な空へと飛び上がるために、私たちはここに集うのです。


「なぜ、私たちはここに集うのか?」 それは、この場所が、生きて働いておられる主イエス様と出会う「命の交差点」だからです。ここでの祈り、ここでの学び、ここでの愛の交わり。それらはすべて、あなたがこの2026年を、誰の真似でもない「あなた自身の光」を輝かせて生きるための力となります。もし今、何かの重荷で腰が曲がっているように感じているなら、どうか顔を上げてください。主はあなたの背後から、あるいはオルガンの音色のようにあなたを包み込み、今日、新しく出発させてくださいます。

この一年、仙台長町教会が、皆様にとっての「鳥の巣」であり、力強く羽ばたくための「崖」となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

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