闇を走り、光を求めて──クリスマスイブの朝に
スマートウォッチの画面に「リカバリが必要です」と表示された朝。 いつものことだ、と笑って無視し、まだ暗い道へと走り出しました。
今日は、久しぶりに太白山方面へ。 かつて建設中だった建物が完成し、風景が少し変わっていました。 整備された公園、小川沿いの草も刈られ、熊対策の痕跡がそこかしこに見られました。
熊との闘い(?)は、これからが本番かもしれません。 人間の数は減り、熊の数は増えていく。 少子化、病、事故、事件、戦争──人間社会の課題は山積みです。 「自分のことや家族のことで精一杯なのに、熊のことまで考えなきゃいけないのか」 そんな声が聞こえてきそうです。
けれど、思うのです。 「生きる」とは、ただ自分のことだけを守ることではなく、 見えない誰かのために、祈り、備え、歩み続けることではないかと。
今日、12月24日。 クリスマスイブ。
世界中が、光を待ち望む夜です。
イエス・キリストがこの世に来られたのは、 私たちの「闇」に光を灯すためでした。
争いの中に、平和を。
不安の中に、希望を。 疲れた心に、休みを。 そして、立ち上がるための力を。
走りながら、思いました。 この一年、どれだけの人が、 「もう走れない」と感じたことでしょう。 どれだけの人が、 「この道の先に光はあるのか」と立ち止まったことでしょう。でも、たとえ暗闇の中でも、
一歩を踏み出すことはできます。 たとえ疲れていても、 誰かのために祈ることはできます。 たとえ世界が混乱していても、 心の中に平和を求めることはできます。
希望は、遠くにある光ではなく、 今ここで、私たちが灯す小さな火から始まるのです。
クリスマスイブの朝、31キロを走り終えた身体は、確かに疲れていました。 けれど、心は不思議と軽く、温かくなっていました。
それは、走ることで自分の限界を超えたからではなく、 走りながら、祈り、考え、誰かのことを思い出したからかもしれません。
このクリスマス、 どうか一人ひとりの心に、 希望の光が灯されますように。
そして、どんなに小さな歩みでも、 それが誰かのための一歩でありますように。 平和は、遠い理想ではなく、 今日の私たちの選びの中にあるのです。
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