最後の50代の朝に──静けさと祈りのランニング
午前3時半。 まだ夜の帳が降りたままの仙台の町を、久しぶりに海の方角へと走り出しました。冷たい空気を切り裂くように足を進めながら、ふと目に入ったのは、広瀬川で静かに眠るハクチョウたちの姿。
ああ、懐かしいな。 冬の早朝、ノアと一緒に広瀬川沿いを歩いていたあの頃も、こうして眠るハクチョウたちをよく見かけたっけ。あれから何年経っただろう。今朝、走りながらその姿を見たのは、本当に久しぶりのことでした。
暗闇の中を走りながら、ここ三日間の歩みを思い返していました。 金曜日は宮城学院中学・高校のクリスマス礼拝。 土曜日は教会のクリスマスコンサート。
そして昨日は教会のクリスマス礼拝。三日連続のクリスマス礼拝を終えると、まるでクリスマスがもう過ぎ去ったかのような錯覚に陥ります。でも、本当のクリスマスはまだこれから。
今年の誕生日は、きっと一生忘れられない日になるでしょう。 明日、娘が入院します。そして、クリスマスイブに手術を受けることになりました。感染予防のために個室を使うことになったのですが、「ホテル代より安く済むから感謝だね」と、娘は笑って言います。
その言葉に、思わず胸が熱くなりました。
60歳を迎えることにも、感謝(?)の気持ちがあります。 「長生きしたな」と思うのが正直なところです。
でも、私はこうも思っています。人は長く生きれば生きるほど、罪を重ね、みじめな思いをすることもある。だから、60歳が自分にとっての“ちょうどよい寿命”なのかもしれないと。それ以降の人生は、神様からのおまけの時間。
欲を捨て、ただ愛し合い、福音を宣べ伝えるための時間。 もっと神様との時間を大切にし、聖書を開き、祈りに心を注いでいきたい。
再来年で、仙台に来て10年になります。 娘は関東へと旅立ち、新しい生活を始めます。
私たちも、10年という節目を迎える中で、新たな地での伝道を祈り求めています。でも、こればかりは自分たちの計画通りにはいかない。だからこそ、ただ導きを求めて祈り続けるのです。
長く一つの教会に仕えることには、良い面ばかりではありません。 牧師が交代することで、教会に新しい風が吹くこともある。 それもまた、神様のご計画のうちにあるのでしょう。そんなことを考えながら、今朝は31キロを走りました。 与えられた今日という一日、50代最後の一日を、 主の栄光のために、教会のために、家族のために、
ノアのために、そして自分自身のために生きたいと思います。
昨日は、ノアにクリスマスのごちそうが届きました。 いつもノアのことを気にかけてくださる教会の兄姉に、心から感謝しています。
コメント
コメントを投稿