アダムとエバから始まった「神からの離反(原罪)」、そしてカインとアベルに見る「兄弟殺し(隣人との断絶)」は、数千年経った今も、形を変えただけで本質は何一つ変わっていません。石の斧がミサイルに変わり、直接的な暴力がSNSでの匿名の中傷に変わっただけです。科学や技術は進化しましたが、人間の「魂」は進化していないのです。では、この世界はどこへ向かっていくのか?
聖書の視点から、その「行き先」と「希望」を整理して提示させていただきます。
1. 世界は「二極化」に向かっている:イエス様は「毒麦のたとえ(マタイ13章)」で、世の終わりまで「良い麦(神の子ら)」と「毒麦(悪の子ら)」が両方とも成長すると言われました。世界は、ただ悪くなっているだけではありません。
•罪の増大: カインの妬みは、現代では国家間の戦争や、経済的な搾取、ネット上の集団リンチとして肥大化しています。「自分さえ良ければいい」というエゴイズムは極まっています。
•恵みの増大: 一方で、暗闇が深くなるほど、光もまた輝きを増しています。世界中で迫害の中で信仰を守る人々、愛の実践をする教会、災害地で奉仕するボランティアなど、「カインの道」を拒否して「キリストの道」を歩む人々も確実に育っています。世界は、「徹底的な自己中心(罪の極み)」と「徹底的な自己犠牲(愛の極み)」へと、鋭く二極化していくでしょう。
2. 「破滅」ではなく「産みの苦しみ」へ:多くの人は、戦争や環境破壊を見て「世界は破滅に向かっている」と絶望します。 しかし、聖書はこの世界の混乱を「死に至る病」ではなく、「産みの苦しみ」(マルコ13:8、ローマ8:22)と表現しています。カインがアベルを殺した時、アベルの血は地面から叫びました。今も無実の血が叫んでいます。この世界は、人間の罪によって壊れ続けていますが、神様はその叫びを無視されません。歴史は、無意味な繰り返しの果てに消滅するのではなく、「新しい天と新しい地の完成」(黙示録21章)というゴールに向かって進んでいます。今は、その新しい世界が生まれるための、激しい陣痛の最中なのです。
3. 「バベル」から「エルサレム」へ:創世記11章の「バベルの塔」は、人間が神になろうとして築いた文明の象徴です。現代の行き過ぎた科学万能主義や、神なき繁栄はまさに現代のバベルです。これらは必ず崩れます。人間の力だけで築いた「地上の楽園」は、必ず「地獄」に変わることを歴史が証明しています。世界が向かっている最終地点は、人間が積み上げるバベルの塔の完成ではなく、「神の国(新しいエルサレム)」の到来です。 そこでは、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである」(黙示録21:4)と約束されています。
結論:私たちはどう生きるべきか:「この世界はどこへ向かうのか?」 答えは、**「人間の罪による限界(裁き)と、神による完全な回復(救い)」**へと向かっています。
21世紀の今、カインの末裔たちが「力と暴力」で世界を支配しているように見えます。しかし、私たちは知っています。最終的な勝利はカインにあるのではなく、十字架につけられ、よみがえられたイエス・キリストにあることを。今の時代に生きる私たちに必要なことは、以下の3つです。
1.悪の連鎖を「私」で止めること カインの末裔として生きるのをやめ、誰かから受けた「妬み」や「悪意」を、次の人に回さず、祈りと赦しによって自分のところで断ち切ること。
2.本質を見抜くこと ニュースや流行に惑わされず、「これはバベルの塔か、神の国か」を見分ける霊的な目を持つこと。
3.「マラナ・タ(主よ、来てください)」と希望を持つこと 世界がどんなに暗くなっても、それは夜明け前だと信じ、絶望せずに愛の種を蒔き続けること。しかし、要因は「原罪」です。しかし、解決は「十字架」にあり、行き先は「御国」です。この希望こそが、混迷する21世紀を生き抜く唯一の力です。共に祈り合い、助け合い、支え合って主イエスが示して下さった真理の道へ、命の道へと進んで参りましょう。
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