「2025仙台長町教会クリスマスコンサート」20-DEC-2025-SAT
皆さん、こんにちは。
本日は、仙台長町教会クリスマスコンサートへようこそお越しくださいました。
先ほどまでの美しい音楽の調べに、心が温かくなったのではないでしょうか。
さて、12月も後半に入り、今年も残すところあとわずかとなりました。この時期になると、私たちは一年を振り返り、そしてまた新しい年がどんな年になるのだろうかと、思いを巡らせます。多くの方が、手帳やカレンダーに、来年の計画を書き込んでいるかもしれません。仕事の目標、家族との旅行、新しい習い事。しかし、私たちの人生には、そうした計画だけでは決して埋めることのできない、大きな「空欄」があるように感じられることはないでしょうか。それは、ふとした時に感じる、将来への漠然とした不安という空欄かもしれません。
お子さんの進学や就職のこと、ご両親の介護のこと、自分自身の健康や老後の生活のこと。あるいは、引退後の人生をどう過ごせばいいのかという、答えのない問いかもしれません。私たちは、様々な情報や知識を集めて、この空-欄をなんとか自分で埋めようと、日々懸命に頑張っています。
今からおよそ2000年前。人々もまた、私たちと同じように、人生の空欄を抱えて生きていました。ローマという大国の支配の下、重い税金に苦しみ、将来に希望を見出せずにいました。クリスマスの物語の主人公である、若い夫婦、ヨセフとマリアも例外ではありません。彼らは、これから生まれてくる子どもの事で、喜びと同時に、きっと大きな不安の中にいたことでしょう。旅の疲れ、宿はないという現実。彼らの目の前にも、大きな空欄が広がっていました。しかし、その夜、人類の歴史の中で最も静かで、最も偉大な奇跡が起こります。
神様が、その夫婦の間に、ひとりの赤ちゃんとしてお生まれになったのです。その赤ちゃんの名前は、「イエス」。そして、別名を「インマヌエル」と言います。これは、「神は、私達と共におられる」という意味の言葉です。
これが、クリスマスの物語の中心です。
神様は、私たちの不安や悩みを、天の上からただ眺めておられるお方ではありませんでした。そうではなく、私たちと「共にいる」ために、私たちと同じように、弱く、助けの必要な
赤ちゃんの姿で、この地上に来てくださったのです。
なぜでしょうか。
それは、私たちの人生の、どんな計画や努力をもってしても埋めることのできない「空欄」を、神様ご自身が埋めるためでした。
将来への不安という空欄には、「私が共にいる」という約束を。
病や老いへの恐れという空欄には、「永遠の命」という希望を。
そして、孤独という空欄には、「決して離れない」という、神の愛を。
イエス・キリストは、この全ての約束を、私たちに与えるために来てくださいました。この方こそ、私たちの人生のどんな問題よりも大きく、どんな暗闇よりも明るい、真の希望です。
今宵、この場所で鳴り響くクリスマスの音楽が、どうか皆さまお一人お一人の心に届きますように。そして、神様があなたと「共にいる」という、クリスマスの本当の喜びが、皆さまの人生の空欄を温かい光で満たしてくださいますように、心からお祈り申し上げます。
*今日の教会クリスマスコンサートには150名ほどの人々が集いました。感謝。
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