走り続けるために

 


走りとおすための「霊的な朝食」 ―― 使徒パウロと30キロの旅路

使徒パウロは、生涯をかけて福音のために走り続けた偉大なランナーでした。 彼は人生の終わりに

こう告白しています。 「私は戦いを立派に戦い抜き、走るべき道を走りとおし、信仰を守り通しました。」(テモテへの手紙二 4:7

30キロという長い距離を走り抜くためには、事前の「食事」がすべてを決めます。それは私たちの信仰生活も同じです。人生という長い旅路を、途中で力尽きることなく走りとおすために、私たちは今朝、何を魂に蓄えたでしょうか。

 

🍚 主食:御言葉の黙想と祈り(魂のエネルギー源)

ランニングにおける主食(玄米やお餅)が、長く燃え続けるエネルギーになるように、私たちの信仰の主食は**「神様の御言葉(聖書)の黙想と祈り」**です。

御言葉は、人生の「30キロの壁」にぶつかったとき、私たちを支える粘り強い力となります。朝、静かに主の前に座り、その声を魂に蓄えなければ、私たちは世の荒波の中で早々に「ガス欠」を起こしてしまいます。祈りによって神様と繋がることは、走りながら常に新鮮な酸素を取り込むことと同じなのです。

 

🍲 副菜:信仰書籍と讃美歌(魂の微量栄養素)

味噌汁や納豆がミネラルやビタミンを与え、足の痙攣や口内炎(自分の現状)を防ぐように、**「信仰書籍」や「讃美歌」**は私たちの魂にバランスと潤いを与えます。

先人たちの知恵が詰まった本を読み、心を込めて讃美を歌うことは、霊的な「サプリメント」です。

それは、孤独な走りにリズムを与え、凝り固まった心をほぐし、私たちが「一人で走っているのではない」ことを思い出させてくれます。(礼拝の場でまさにそういうところです。)

 

🚫 避けるべきもの:この世の「毒」と「空腹感」

ランナーが走る直前に激辛料理や油っこいものを避けるように、私たちが「走りとおす」ために遠ざけるべきものがあります。

  • 世の思想とデマ(精神の消化不良): テレビの音に浸り切り、根拠のないデマやこの世の流行に心を奪われることは、霊的な「胃もたれ」を引き起こします。それらは私たちを「今、ここ」にある本質から遠ざけ、足取りを重くさせます。
  • 強欲と金銭の執着(魂の毒): 聖書は「金銭を愛することは、すべての悪の根である」と教えています。欲張りな心は、走り続けるために必要な「身軽さ」を奪い、私たちを地上に縛り付けてしまいます。満足を知らず、もっと、もっと、もう少し、もう少しと悪魔はそそのかします。

しかし、その行先は破滅です。滅亡です。絶えず神様の恵みに感謝して生きることが重要です。

 


🏁 最後に:向かうべき場所を見つめて

30キロのゴール、そして人生のゴール。 私たちが向かっているのは、単なる「完走」ではありません。その先におられる主の御元です。「異邦人」として、そして「旅人」として、私たちはこの世の飾り付けに惑わされることなく、魂を正しく養い、明日への希望を持って一歩を踏み出します。

外は寒く、道は険しいかもしれません。しかし、正しい「霊的朝食」を摂った私たちの内側には、主が与えてくださる熱い火が灯っています。さあ、今日も主と共に、走りとおしましょう。

 

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