しるしを求める時代

 


しるしを求める時代の「盲点」 ―― 多数決の中に真理はあるか?

私たちは今、かつてないほど「確かなもの」に飢えています。 SNSの通知、経済予測、あるいは目に見える成功の証。ある日、人々がイエス・キリストに向かって「私たちが信じられるような、天からの『しるし』を見せてくれ」と詰め寄った時、主はこう答えられました。

「ヨナのしるし(三日三晩大魚の中にいた預言者ヨナの奇跡)のほかには、しるしは与えられない」

なぜ主は、人々の期待に応えて派手な奇跡を見せなかったのでしょうか。そこには、現代を生きる私たちが陥っている「深刻な偽り」を見抜く鍵が隠されています。

 

🔍 「見れば信じる」という嘘

私たちはよく、「自分の目で確かめ、手で触れたものしか信じない」と言います。しかし、事実はその逆です。人は、自分の目で確認したとしても、それが自分の望む方向(多数派の意見)と違っていれば、平気でその事実を否定する生き物だからです。

「みんなが右へ行っているから、右が正しいはずだ」 この多数決の論理が、私たちの目を曇らせます。たとえ目の前に一点の曇りもない真理があったとしても、周囲の100人が「それは間違いだ」と言えば、私たちは自分の五感よりも「群衆の安心感」を選んでしまう。これが人間の弱さであり、罪深さです。

 

🌪️ 「多様性」という名の迷路

今は多様性の時代です。多種多様な生き方、考え方が尊重されることは素晴らしいことです。しかし、こと「真理」に関してはどうでしょうか。

現代人は「絶対的な真理」を嫌います。(これが教会から遠ざかる、あるいは聖書を拒否する一つの理由でもある)それは不自由で、独善的に見えるからです。代わりに、自分の好みに合わせて選べる「自分専用の真理(カスタマイズされた正義)」を好みます。たとえその選択が人生を失敗に導くとしても、私たちは「選べる自由」を握りしめていたいのです。しかし、羅針盤の針がいくつもの方向を指していたら、船は難破します。多様性は「豊かさ」ですが、真理は常に「一つ」です。

 

🔑 偽りを見抜くための「唯一の鍵」

主が言われた「ヨナのしるし」とは何でしょうか。 それは、ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように、主もまた死の淵から復活されるという、外側の派手な演出ではなく「内側の命の変革」を指しています。私たちが偽りを見抜くための鍵は、外側に「もっと分かりやすい証拠」を探すことではありません。以下の視点を持つことです。

  1. 「多数派」を疑う: 真理は常に、狭い門から始まります。多くの人が熱狂しているものほど、一度立ち止まって、その「根っこ」を見る勇気を持ってください。
  2. 「好み」を脇に置く: 真理は時として、私たちの感情や好みを逆なでします。自分が「聞きたくない言葉」の中にこそ、あなたを自由にする答えが隠されていることが多いのです。
  3. 「絶対」を恐れない: 全てが相対化される時代にあって、変わらない一点を見定めること。それが、この複雑な世界を迷わずに走り抜くための唯一の方法です。

🏃‍♂️ 旅人としての独り言

歴史を振り返れば、人々は常に「分かりやすいしるし」を求めて、偽りの預言者や独裁者に熱狂してきました。しかし、本当の再生は、静かな夜の祈りの中で、あるいは30kmの孤独なランニングの果てに訪れる「内なる確信」の中にあります。

2026年を目前にした今日。あなたは、流動的な「みんなの意見」を信じますか? それとも、時代を超えて変わることのない「一つの真理」に命を預けますか?

ここでの出会いが、あなたの人生の羅針盤を正しく整えるきっかけとなることを願っています。

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