心の荒野を整え、平和の主を迎えよう
― 悔い改めと平和を告げるアドベント第二週 ―
これは単なる物理的な道の準備ではなく、私たちの心の荒野を整えること、すなわち主イエスを迎え入れるにふさわしい心へと悔い改めることを意味しています。私たちは日々の生活の中で、様々な「荒野」を抱えているかもしれません。それは、不信仰や疑い、他人への怒りや不寛容、あるいは自分自身の弱さや罪といったものです。バプテスマのヨハネは、私たちに、これらの心の障害物を取り除き、イエス様が私たちの心の中にスムーズに入って来られるようにと促しているのです。罪を告白し、赦しを求め、神様との関係を修復すること。これこそが、主の道を備えるための第一歩です。
そして、この悔い改めの先には「平和」があります。真の平和とは、単に争いがない状態を指すだけではありません。それは、神様との和解によって与えられる、心の奥底から湧き上がる平安のことです。預言者イザヤは、メシアの到来によってもたらされる平和について「主は、王座に着いて裁き、正しい行いをし、主の定めるところを求める者たちの間で、公平をもってさばかれる。彼らの心の悩みを解き、彼らの魂の苦しみを癒される」(イザヤ書32章7節)と語りました。イエス・キリストは平和の君として来られ、私たちの心に真の平安をもたらす方なのです。私たちは
ともすれば、平和を外的な状況や環境に求めがちですが、聖書が語る平和は、まず私たち自身の心の内から生まれるものです。神との関係が正しいなら、たとえ困難な状況にあっても、揺るがない平安が与えられます。
このアドベントの時、私たちは、自らの心を省み、主の光によって照らされるべき闇や影がないかを探求する恵みの機会を与えられています。日々の忙しさの中で、私たちはしばしば立ち止まって自分の心を深く見つめることを怠ってしまいます。しかし、アドベントは、私たちに「静まれ。わたしが神であることを知れ」(詩篇46篇10節)と語りかけています。静かに祈り、御言葉に耳を傾ける時間を持つことによって、心の騒がしさを鎮め、神様が私たちに与えようとしておられる平安を受け取ることができるでしょう。
このアドベント第二週、私たちはただイエス・キリストの誕生を祝う準備をするだけでなく、私たち自身の心の状態を深く見つめ、悔い改めを通して心の荒野を整え、神様との真の平和を求める時としたいものです。そのようにして心の準備をするならば、私たちはイエス様がもたらしてくださる希望と平安を、より深く体験することができるでしょう。今週も、皆様の上に、主イエス・キリストからの豊かな祝福と平安が満ち溢れますよう、心からお祈り申し上げます。
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