「ため息」で終わらせないために。鉄道人身事故という「社会の病」への処方箋
今朝、娘を駅まで送る車中で、娘のスマートフォンが鳴りました。 「電車が止まってる。人身事故だって」 友人からの悲痛な連絡でした。
娘は幸い地下鉄に乗り換えて学校へ向かいましたが、遠方から通学しているその友人は、1限目のテストに間に合わなかったそうです。
駅にあふれる数千人の足止めされた人々。聞こえてくるのは「またかよ…」という怒りと、深い深いため息ばかり。
熊の被害も深刻ですが、物理的な柵や駆除で対策が見えるそれとは違い、毎月のように、いや毎日のように日本のどこかで繰り返されるこの「鉄道人身事故」こそ、現代社会が抱える解決できていない深刻な病ではないでしょうか。
今日は、この悲しい連鎖について、私たち社会がどう向き合うべきか、少し踏み込んで考えてみたいと思います。
「日常」になってしまった異常事態
皆さんはご存知でしょうか。 日本全国で起きている鉄道人身事故は、年間で約800件〜900件にも上ります。単純計算で、毎日2〜3件、日本のどこかで誰かが命を絶ち、誰かの足が止まっているのです。「異常」が「日常」になってしまっている、恐ろしい数字です。
そして、そこには残酷な現実があります。 電車を止めた損害賠償は、亡くなった方の家族へと向かうケースがあるということです。家族を失った悲しみの中に、数百万、数千万という請求の影が落ちる。まさに地獄のような二重の苦しみがそこにあります。
なぜ止められないのか?
熊の被害は「自然と人間」の境界線の問題ですが、人身事故は**「人間社会の歪み」**そのものです。 心の闇を抱え、突発的に死へと向かう人を、看板やアナウンスだけで止めることはできません。では、私たちはただ手をこまねいて、ため息をつくだけでいいのでしょうか?
解決策は、必ずあります。私は3つの段階でこの問題に取り組むべきだと考えます。
1. 【物理的解決】「ホームドア」はコストではなく、命への投資
最も確実なのは、物理的に線路に入れないようにする「ホームドア」の設置です。 設置には多額の費用がかかりますが、これを単なる鉄道会社のコストとして片付けてはいけません。国が主導し、**「国民の命と時間を守る安全保障」**として、学校近くや主要駅への設置を義務化し、予算を投じるべきです。
2. 【技術的解決】AIと青い光の目
すべての駅にドアがつかなくとも、技術で守ることはできます。 心を落ち着かせる効果がある「青色照明」の導入や、ふらつきや長時間の滞留を検知して駅員に知らせる「AIカメラ」の活用。テクノロジーは、監視のためではなく、見守るために使うべきです。
3. 【根本的解決】「逃げ場」としての教会の役割
そして最後に、私たち宗教家や、地域社会が担うべき役割です。 多くの人は「死にたい」のではなく、「今の苦しみから消えたい」と思い詰めた末に、電車という巨大な力に吸い寄せられてしまいます。現代は、「助けを求める隣人がいない」社会です。
だからこそ、教会やお寺、地域のコミュニティが、**「死ぬくらいなら、ここに逃げておいで」**という旗をもっと高く掲げる必要があります。 電車に飛び込むよりも確実な「魂の安息所(シェルター)」がここにある。そのことを、私たちは命がけで発信していかなければなりません。
結びに
今朝、学校に行けず途方に暮れた娘の友人のように、何の罪もない人々が巻き込まれ、社会全体が疲弊していくのを、これ以上見過ごすわけにはいきません。
ハード(設備)の整備を国に求めつつ、私たち一人ひとりはソフト(心)の整備を。 「死」を選ぶ前に「逃げる」という選択肢があることを、この社会の常識に変えていきましょう。
悲しいニュースを聞いて、文句やため息で自分を慰めるのはもう終わりにしませんか。 この連鎖を止めるための祈りと行動を、今日、ここから始めたいと思います。
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