シニア割引の「200円」と、測れない人間の価値
32キロの夜明けの走りを終え、心地よい疲れの中で午後は散髪屋へ向かいました。
平日の午後の散髪屋は、外の喧騒を忘れたかのように閑散としていて、ハサミの音だけが心地よく響いています。
鏡の前に座ると、ふと一枚の券が目に飛び込んできました。 「60歳以上、シニア割引券」。
昨年12月に60歳という節目を迎えたばかりの私にとって、それは紛れもなく「対象者」であることを告げる案内でした。しかし、散髪を終えた私は、その券に手を伸ばすことなく、迷わず通常の料金を支払って店を出ました。
200円の割引。消費者にとっては「良い知らせ」であり、魅力的な数字です。
けれど、今の私にはまだ「シニア」という実感が湧かなかった。そして何より、その割引を受けることよりも、今の自分としてそのままの対価を支払うことが、自分自身の「今」に納得できる気がしたのです。特別な理由はなく、ただ、心がそう告げていました。
「価格」と「価値」のあいだで
私たちは日々、あらゆるものに貼られた「価格」を見て生きています。 店頭に並ぶ商品の値段を見て、「妥当だろうか」「高すぎるのではないか」と判断します。しかし、本当の価格とは何でしょうか。数字で示された金額は、そのものの本質的な価値をすべて言い表せているのでしょうか。
話は、いつの間にか「人間の価値」へと広がっていきます。 今の世の中、人の価値もまた「お金」で判断される場面があまりに多いように感じます。
年俸で評価されるプロスポーツ選手、給与で評価される会社員。 「結局、金なのか……」と、ため息をつきたくなるような現実がそこかしこにあります。
けれど、本当の人間の価値は、決して通帳の数字では測れません。 その人がどう生きたか。 この世界に、社会に、そして誰かの心の中に、どれだけ「なくてはならない存在」として刻まれているか。
世界のために、誰かのために、自分という存在を惜しみなく捧げる人。その価値は、どんなに高価な宝石を並べても追いつかないほど気高いものです。
シンプルに生きる、ということ
シニア割引の200円から、随分と遠いところまで考えてしまいました。 人間は本来、物事を複雑に考えたがる存在です。理屈をこね、裏を読み、悩みを深めてしまう。
けれど、32キロの道をただひたすら走っているときのように、人生はもっとシンプルで良いのかもしれません。
「今を精一杯に生きること。与えられた場所で、必要な存在として誠実に歩むこと」。
割引券を取らなかった私の小さなこだわりも、そんな「シンプルに生きたい」という願いの表れだったのかもしれません。
大人になる。シニアになる。 年齢という数字に縛られるのではなく、ただ「主の前に、誠実な一人でありたい」。 鏡の中のさっぱりとした自分を見つめながら、そんなことを思った冬の午後でした。
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