効率の向こう側にある、時間をかけなければ辿り着けない場所
呼吸のリズム、土を踏みしめる音
昨日は、肺の奥を刺すような冷たい空気を吸い込みながら、一歩一歩路面を蹴り進めていきました。
21キロ、あるいは32キロ。どれほどテクノロジーが進化しても、この距離を自分の脚で走らずに「完走した清々しさ」だけを手にいれる魔法は、この世に存在しません。
スマートフォンの画面一つで、あらゆるものが「即座に」手に入る時代です。指先一つで、3分後には美味しい料理のレシピが分かり、朝注文した商品が夕方に届きます。私たちの生活は、かつてないほど「手間」と「時間」を削ぎ落とすことに成功しました。
けれど、走り続けているとふと思うのです。私たちは、効率と引き換えに、何か大切な「熟成の時間」を忘れてしまってはいないだろうか、と。
「インスタント」に染まる私たちの魂
現代人の私たちは、手間がかからないことを「善」とする習性に染まりつつあります。 料理も、ダイエットも、仕事も。「短時間で」「簡単に」「努力なしで」。その波は、ついに私たちの精神的な営みにまで押し寄せてきました。
「礼拝の時間はもっと短くならないか」「説教は手短に、分かりやすく」「すぐに役立つ教えを」。
しかし、ここで立ち止まって考えてみたいのです。私たちの魂は、そんなに「お急ぎ便」で成長できるものなのでしょうか。
手間を省くことは便利ですが、手間を省くことは「向き合うこと」を省くことでもあります。近道ばかりを探しているうちに、私たちはその道の途中に咲いている名もなき花や、自分自身の心の揺らぎに気づく余裕さえ失っているのかもしれません。
時間をかけずには成し遂げられないこと
この世には、どうしても時間をかけなければ成し遂げられない、物理的な重みを持った事柄が厳然として存在します。
- ランニング: 自分の脚で走り、一歩一歩を積み重ねた距離だけが、血肉となります。
- 家族の平和: 短時間の話し合いやテクニックではなく、何年も、何十年もかけて互いの弱さを認め、許し合う時間の堆積が「家」を築きます。
- 信仰: 効率的な情報の取得ではなく、沈黙の中で神と向き合い、答えのない問いを抱えて歩み続けるプロセスのなかにこそ、真の平安が宿ります。
時間をかけるということは、その対象に自分の「命」を分け与えるということです。手間をかけるということは、その事柄を「愛する」ということです。
スピードの時代に「賢く、正しく」生きる処方箋
早いスピードに慣れきったこの世界で、私たちが自分を見失わずに生きるための方法は、意外にもシンプルかもしれません。
それは、**「あえて、時間のかかる道を選ぶ」**という小さな決意です。
- 「身体性」を取り戻す: 便利な道具を置き、自分の手で作り、自分の足で歩く時間を意識的につくる。
- 「待つ」ことを楽しむ: すぐに答えを出さず、相手や自分、あるいは神様の時が満ちるのをじっと待つ「静寂」を生活に組み込む。
- 「余白」を愛でる: 効率的には無駄に見える時間——例えば、走りながらの祈りや、とりとめもない家族との団らんを、人生の最優先事項に据える。
効率の網を潜り抜け、時間をかけて育て上げたものだけが、人生の嵐が吹いたときに私たちを支える強固な土台となります。
今日を歩むあなたへ
世の中がどれほど「早く、簡単に」と急かしてきても、あなたはあなたのペースを崩さなくていいのです。 あなたが今日、手間をかけて誰かのために費やした時間。
あなたが今日、一歩一歩を噛みしめて歩いた道のり。
神様はその「時間をかけた誠実さ」を、誰よりも見ておられます。 手間をかけることを恐れず、丁寧な一日を編み上げていきましょう。
今日も、生きることです。

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