「今日」という「日」

 


「今日」という一皿に盛られた、精一杯の輝き

湯気の向こう側にある、ささやかな充足

今日のランチは、鶏むね肉を丁寧に調理した一皿でした。香ばしく焼き上げられたお肉が食卓に並ぶと、娘と妻の顔にパッと明るい笑顔が広がります。

「美味しいね」と言い合いながら、家族で同じものを食べる。 その何気ないひとときが、今の私たちにとって、どれほど深く、温かな充足感をもたらしてくれるでしょうか。


 

「当たり前」という名の、輝かしい歩み

最近の娘は、本当に変わりなく元気に過ごしています。 学校の勉強、友だちとの賑やかな食事会、そしてアルバイト。さらに来月からは、実習も控えています。

かつて、私たちは立ち止まるような暗闇の中にいたかもしれません。けれど今、娘の背中にあるのは、ただひたすらに「今」という瞬間を精一杯に生きる、強くしなやかなエネルギーです。

夜になれば、彼女はまたバイトへと向かいます。街灯が路面を照らす静かな夜道は、彼女が自分の足で、自分の人生を切り拓いていく「前進」の舞台でもあるのです。


 

「信じる」とは、今日を信頼して委ねること

私たちは日々の歩みの中で、つい「明日はどうなるだろう」と未来を案じてしまいます。しかし、使徒信条が語る「我は信ず」という言葉の本質は、もっと実直なものです。

  • 信頼のバトン: 信仰とは、自分の信念を述べることではなく、神様が導いてくださるという確信を受け入れることです。
  • 導きへの全幅の信頼: 聖書が示す内容は、私たちが迷わないための手引きとなります。
  • 今を肯定する力: 神様を信じるとは、特別なマジックを期待することではなく、神様が与えてくださった「今日」という時間を、そのまま信頼して味わい尽くすことなのです。

鶏むね肉を「美味しい」と感じる心、実習に向けて準備する真剣な眼差し。それらすべてが、神様の愛という大きな懐の中で、正しく導かれている。そう信じられるからこそ、私たちは不安に足を止められることなく、歩み続けることができます。


 

希望を持って、夜明け前を走るあなたへ

人生には、階段を一気に上り切らなければならないような険しい時期もあります。 けれど、どんなに高い階段も、今日という一歩の積み重ねでしか上ることはできません。

娘が今、精一杯に生きているその姿は、私にとっても、そしてこの記事を読んでいるあなたにとっても、一つの確かな希望です。特別なことでなくていい。今日、目の前にある仕事、学び、そして食事を、感謝を持って受け止めること。

その誠実な「今」の積み重ねが、やがてあなたの人生に、消えることのない「前進」の足跡を刻んでいくはずです。今晩も、娘はバイトを頑張ります。 そして私たちも、自分に与えられた場所で、精一杯の光を灯しましょう。

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