不足は「信仰」を育てる最高のサプリメント
私たちは日々、足りないものを埋めることに必死です。穴の開いたバケツに水を注ぐように、もっと知識を、もっと体力を、もっと余裕をと、自分を「満点」に近づけようと頑張ってしまいます。
しかし、聖書が教える信仰の世界では、この**「不足」こそが輝く宝物**なのです。
1. 満たされているとき、人は「上」を見ない
ある人は言いました。「神様を信頼するためには、いくらかの困難が必要だ」と。 確かにその通りかもしれません。自分の力が溢れ、すべてが思い通りに進んでいるとき、私たちはついつい「自分の力で生きている」と錯覚してしまいます。足元ばかりを見て、空を見上げることを忘れてしまうのです。
2. 「器」が空っぽになったとき、恵みが注がれる
心身の限界を感じ、自分の「器」が空っぽになったとき。 「もう自分の力ではどうしようもない」と万策尽きたその瞬間、初めて私たちは全能者へと顔を上げます。
私たちの内側にある「足りなさ」は、神様がわざと残された**「聖なる余白」**です。 その空白があるからこそ、神様の恵みが入り込むスペースが生まれます。もし私たちが自分自身でパンパンに満たされていたら、神様の助けさえ「お節介」に感じてしまうかもしれません。
私たちの「不足」は、神様が私たちの信仰と従順を育てるために、あえてデザインされた「成長のためのサプリメント」なのです。
3. 「足りない」を「ありがとう」に変える
今、皆さんが感じている「不足」は何でしょうか。 「もっとこうなればいいのに」という欠乏感があるなら、それは神様からの招待状です。「そこは、わたしが働く場所だよ」という神様のサインなのです。
- 時間が足りないなら:神様に時間を委ね、今日一番大切なことだけを見極める。
- 知恵が足りないなら:自分の考えを横に置き、静かに御言葉に耳を傾ける。
- 愛が足りないなら:キリストという源泉から、愛を分けていただく。
不足を嘆くのをやめて、「ここを神様で満たしてください。―本当は1から10までを主の御手にゆだねあることが大事です。自分が出来ると考えることも、不可能であると考えることもすべてを主の助けを祈り求めること、そして、御心にゆだねることです。」と祈る。そのとき、私たちの人生は「欠乏」から「充足」へと、劇的にその色を変え始めます。
今日、もしあなたが「自分はなんて足りない人間なんだろう」と落ち込んでいるなら、どうか喜んでください。あなたは今、最高のサプリメントを手にしています。
その余白こそが、神様の奇跡が起こる舞台なのです。
今日も、前進です。 足りない自分を抱えたまま、主と共に軽やかに。
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