太白の風に祈りを乗せて

 


🏔️ ブログ:太白の風に祈りを乗せて —— 32kmの夜明けと「成人の真意」

2時前に起床し、静まり返った会堂で祈りを捧げる。それから部屋の掃除。2026年クリスマスコンサートの構想を練り、説教の準備を整える。この「静かなる待望」の時間が、私の一日の源泉です。

4時、まだ闇の深い中を走り出しました。今日は太白山方面。先日は名取の兄弟姉妹を思いましたが、今日はこの山に近い場所で生活する方々の顔を一人ひとり思い浮かべながら祈り、坂道を一歩一歩踏みしめました。止まらない。祈りも、足も。それが私に与えられた「常燔祭」です。

【聖書豆知識:常燔祭(じょうはんさい)とは?】

「常(つね)に」「燔(や)く」「祭(まつり)」と書くこの言葉は、旧約聖書の時代に、神様の幕屋(移動式の聖所)や神殿の祭壇で、朝と晩の毎日欠かさず捧げられた儀式を指します。

「あなたが祭壇の上に献げるべきものは、次のとおりである。一歳の小羊二頭を、毎日絶やすことなく献げなさい。一頭の小羊は朝に献げ、もう一頭の小羊は夕暮れに献げなさい。」 (出エジプト記 2938-39節)

 


大年寺の階段入り口に差しかかったその時、海の方から眩い光が溢れ出しました。「生きよう!!!」 太陽の光を通して、主が心に直接語りかけてくださるのを感じました。主のために、教会のために、家族のために、そして苦しみの中にある人々のために、精一杯命を燃やすこと。32kmを完走した体には、心地よい疲れと共に、新しい使命感が満ちていました。

 


今日は、今度の日曜日に行われる娘の成人式の準備。美容院へ着物を届けることに。父としての喜びを噛み締めました。看護師を目指し、病を乗り越えて今日を迎える娘の姿は、神様の恵みそのものです。

成人になる。大人になるということは、法律上の責任や社会的な義務を負うという「重荷」のように聞こえるかもしれません。しかし、視点を変えれば、それは「自らの意志で誰かを支える主役」になるという、最高の自由への招待状です。

 


未成年という守られた枠を越え、自分の足で立ち、自分の言葉で愛を語り、自らの手で家庭や社会を築いていく。それは不自由な重荷ではなく、主が私たちに与えてくださった「最高の特権」です。

でも、大人になる一番の喜びは、やはり「誰かのために、自由を用いて仕えることができる」ということにあります。

自分一人のためではなく、主が示してくださった「愛」を、自分の意志で誰かに手渡していく。その責任ある自由の中にこそ、人間としての真の輝きがあります。今度の日曜日、晴れ着に身を包んだ娘や新成人の若者たちが、その「愛する責任」を喜びとして受け取れるよう、私はまた祈りながら、彼らの伴走を続けていきたいと願っています。



 

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