映画『LIVING(邦題:LIVING
生きる)』は、黒澤明監督の名作『生きる』を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚本を手掛け、1950年代のロンドンを舞台にリメイクした作品です。
主演のビル・ナイが、死を前にして初めて「生」と向き合う公務員を静謐かつ力強く演じ、アカデミー賞2部門(主演男優賞、脚色賞)にノミネートされるなど、世界中で高く評価されました。
この映画のあらすじ、神学的な観点からの考察、そして現代人が受け取るべきメッセージを整理しました。
1. 『LIVING』のあらすじ:死が教えた「生の始まり」
1953年、第二次世界大戦の傷跡が残るロンドン。公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、毎日同じ時間に列車に乗り、役所の「市民課」で積み上げられた書類を右から左へ流すだけの、規律正しくも無味乾燥な日々を送っていました。
ある日、彼は医師から余命半年の宣告を受けます。
自分がこれまでの人生で何も成し遂げておらず、ただ「存在していただけ」だったことに愕然とした彼は、初めて「生きること」を模索し始めます。貯金を下ろして夜の街で放蕩にふけってみるものの、心は満たされません。
そんな中、若々しい活力に溢れた元部下の女性、マーガレットとの交流を通じ、彼はある「小さな希望」を見出します。それは、役所の複雑な官僚主義の中でずっと放置されていた、**「スラムの空き地に小さな公園を作る」**という、ささやかな請願を叶えることでした。
2. 神学的な観点からの評価:日常という名の「聖域」
キリスト教神学的な視点からこの映画を読み解くと、以下の三つの重要なテーマが浮かび上がります。
① 「メメント・モリ(死を想え)」と真の回心
聖書は「自分の日を数えることを教えてください」(詩編90:12)と説きます。ウィリアムズにとっての癌の宣告は、単なる絶望ではなく、霊的な「目覚め」を促す**カイロス(神の時)**となりました。 死を意識した瞬間に、彼は「死んでいるかのように生きていた自分」から「死に向かって力強く生きる自分」へと回心(メタノイア)したのです。
② 召命(ヴォケーション)としての公務
彼は特別な慈善家になったわけではありません。「公務員」という、世俗的で退屈だと思われていた自分の職務を、初めて**「隣人愛」を実践する場(召命)**として捉え直しました。 これは、ルターが提唱した「世俗の職業こそが神に仕える場である」という万人祭司の思想に近いものです。山を動かすような奇跡ではなく、書類の山を一つ動かすことが、彼にとっての聖なる業(わざ)となったのです。
③ 「一杯の冷たい水」の神学
彼が心血を注いだのは、巨大な大聖堂の建設ではなく、子どもたちのための小さな公園でした。これは、マタイによる福音書(10:42)にある「これらの小さな者の一人に、弟子だからというので、一杯の冷たい水でも飲ませてくれる者は…決してその報いを失うことはない」という教えを象徴しています。小さな善意を貫き通すことの尊さが、美しく描かれています。
3. 現代人がこの映画から学ぶべきこと
効率とスピード、そして「大きな成功」ばかりを追い求めがちな現代人にとって、この映画は鋭い問いを投げかけます。
- 「ルーティン」と「生」を峻別する
慣れ親しんだ習慣や仕事の流れをこなすだけの毎日は、時に「魂の眠り」を招きます。自分が今、単に「時間を消費」しているのか、それとも「命を燃やしている」のかを問い直す勇気が求められます。
- 「小さな一歩」の重みを知る
世界を変えることは難しくても、自分の手の届く範囲にある「不条理」を一つ正すことはできるかもしれません。官僚主義的な冷たさに対し、一人の人間として「熱」を持って接することが、周囲に静かな変革をもたらすことを教えてくれます。
- レガシー(遺産)の再定義
ウィリアムズが残したものは、名前が刻まれた記念碑ではなく、子どもたちの笑い声が響く場所でした。私たちがこの世を去るとき、何を持って行くかではなく、何を残して行くのか。その問いが、今の生き方を決定づけます。
「今日という日は、残りの人生の最初の一日である」という言葉がありますが、この映画はさらに一歩進んで、**「今日という日は、神様から預かっている最後の貴重な時間かもしれない」**という緊張感と喜びを教えてくれます。

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