🕊️帰るべき場所と、一人の「祭司」が変える世界
冷たい空気が教えてくれること
年末年始の5日間で、合計133kmを走りました。
今朝も、仙台の凍てつく空気の中を20km。
氷点下に迫る朝の空気が、肺にしみわたるように「美味しい」と感じられる瞬間──
それは、ただ体を鍛えているからではありません。
極限まで自分を追い込みながら、主と深く交わる中でしか味わえない、
魂の奥から湧き上がる感覚なのです。走ることで、私は祈り、問い、見つめます。
自分の弱さを知り、世界の痛みに気づき、
そして、神のまなざしを感じるのです。
帰る場所があるという恵み
今日、街は連休の終わりを迎え、
人々がそれぞれの「巣」へと戻っていく光景であふれています。
駅も道路も、再び動き出す日常のリズムに包まれています。けれど、その光景を横目に走りながら、私は思いました。
この世界には、「帰る場所」を持たない人々が確かにいる、と。家を失った人、家族を失った人、
心の居場所を見失った人──
そして、人間の都合によって生きる場所を追われ、
人里に姿を現す野生動物たち。この地球という小さな星の上で、
あらゆる命が「帰る場所」を求めてさまよっている。
それが、私たちの生きる現実です。
世界の不条理と、福音のまなざし
私たちの社会は、便利さと豊かさを追い求める一方で、
誰かの痛みや犠牲に無自覚なまま進んでいるように見えます。
人間の自己中心的な振る舞いが、
人を、自然を、そして自分自身をも傷つけているのです。聖書は、この世界の不条理を「罪」と呼びます。そして、その罪の根源は、人間が自分を造られた神を認めず、
自分を中心に据えて生きようとする姿勢にあると語ります。このままでは、真に平和で公平な世界は訪れない。
それが、私たちの抱える現実です。
それでも、たった一人の「謙虚」が世界を変えるそれでも、聖書は希望を語ります。
たとえ世界がどれほど壊れていても、
たった一人、神の前に謙虚に立つ者がいれば、
神はその一人を通して世界を変えることができる──
それが、福音の力です。「主はあなたを祝福し、あなたを守られますように。
主の御顔をあなたに向け、恵みをお与えになりますように。」
(民数記6:24–26)この祝祷は、制度的な言葉ではありません。
神に顔を向けられた「一人」が、
その祝福を周囲に流し出す“パイプ”となるという、
神の約束なのです。私たちが神との絆に生きるとき、
不条理の坂道を登り切る力が与えられます。
それは、目に見えないけれど確かな「たすき」のように、
私たちを支え、導いてくれるのです。
イエス・キリストという希望
世界は「変わらない」と言います。
人間は「無理だ」と諦めます。
けれど、私たちは語り続けます。
私たちの罪を背負い、
不条理の極みである十字架にかけられ、
なお「父よ、彼らを赦してください」と祈られたイエス・キリスト。
この方こそ、たった一人の従順によって、全人類の歴史を逆転させた方です。2026年、私たちはそれぞれの現場へと戻っていきます。
仕事へ、家庭へ、学校へ、地域へ。
その歩みの中で、
「主よ、私はここにいます」と祈る一人の存在が、
この世界を照らす光となることを信じて──今日も、主の豊かな祝福が、 あなたと、あなたの愛する人々の上にありますように。 たすきを受け取って、共に走り続けましょう。🕊️✨
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