【灯をともす:四旬節の旅路】第2日:言葉の重み、沈黙の力
2026年2月19日。四旬節の二日目の朝を迎えました。
昨日の「灰の水曜日」に受けた静かな決意は、今朝の日常の喧騒の中でも、あなたの心に小さく灯っていますか。
今日は、荒野で空腹の極致にあった主が、どのようにして自分を保たれたのか。その「力の源」を辿ります。
1. 聖書の場面:御言葉という盾
「イエスはお答えになった。『「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書いてある。』」(マタイによる福音書 4:4)
荒野での最初の誘惑に対し、イエス様は自分の空腹を訴えることも、奇跡の力を見せつけることもしませんでした。ただ、旧約聖書(申命記8:3)の言葉を引用し、それを「自分の足場」として宣言されたのです。悪魔は「目に見えるパン(成果・満足)」を求めましたが、イエス様は「目に見えない神の言葉(信頼・約束)」を、生きるための真の糧として選ばれました。
2. 心の揺らぎ:情報の洪水の中での飢餓
現代を生きる私たちは、かつてないほどの「言葉」に囲まれています。 SNSのタイムライン、絶え間ないニュース、誰かの評価。
それらは一時的に私たちの知的好奇心を埋めてくれるかもしれませんが、不思議なことに、読めば読むほど、聴けば聴くほど、心はかえって乾き、空腹を覚えることはないでしょうか。他人の成功や、効率的なライフハック、誰かを攻撃する鋭い言葉。
それらは「パン」のように見えて、実は私たちの霊的な命を養うことはできません。私たちは情報の海の中で、本当の意味で「生きた言葉」に飢えているのです。
3. 核心:沈黙の中で聴こえる「生きた言葉」
イエス様が荒野で引用された御言葉は、ただの知識ではありませんでした。それは、極限状態の自分を支え、突き動かす「命の呼吸」そのものでした。
教訓はシンプルです。**「何を食べるか(何を取り込むか)が、あなたという人間を作る」**ということです。 四旬節のこの時期、私たちは意識的に情報の「断食」をし、神様の言葉という「本物の食事」を摂取するレッスンを始めます。
現代人へのメッセージ
「パン(目に見える成果や豊かさ)」がなければ生きていけないと、私たちは世界から脅されています。 しかし、主は今日、あなたにこう囁かれます。
「あなたの価値は、あなたが何を持っているか(パン)ではなく、私があなたをどう呼んでいるか(御言葉)によって決まるのだよ」と。
今日一日、誰かの評価や、自分を責める声が聞こえてきたら、こう心の中で唱えてみてください。 「私は、神様の愛という言葉によって生かされている」と。
それだけで、あなたの荒野に、静かな平安が流れ込み始めます。
今日も、精一杯に生きることです。主のために、人々のために。
今日、あなたが触れる言葉の中で、一つだけ「神様からの手紙」だと思える聖句を選んで、お守りのように心に留めてみませんか。もし良ければ、今のあなたの心に一番響く聖書の言葉を教えてください。一緒にその意味を深めていきましょう。
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