【灯をともす:四旬節の旅路】第3日:ゲツマネの葛藤――「私の願い」から「御心」へ
2026年2月20日。四旬節の三日目の朝を迎えました。
金曜日の静かな光の中で、私たちは主が歩まれた道のりの、最も苦しく、しかし最も尊い「祈りの夜」へと足を踏み入れます。
1. 聖書の場面:滴り落ちる血のような汗
「父よ、御心ならば、この杯をわたしから遠ざけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカによる福音書 22:42)
十字架を目前に控えた夜、イエス様はゲツマネの園で、ひとり悶え苦しみながら祈られました。 ここにあるのは、痛みを恐れない超人の姿ではありません。私たちと同じように、死の恐怖に震え、「できればこの苦しみを避けたい」と願う、あまりにも人間的な主の姿です。
しかし、主はその「激しい願い」を抱えたまま、最後にはそれを神様の手へと預けられました。ご自分の「NO」を、神様の「YES」へと一致させていかれたのです。
2. 心の揺らぎ:コントロールを手放せない私たち
現代を生きる私たちは、自分の人生をいかに「効率よく」「痛みなく」「思い通りに」コントロールするかに心血を注いでいます。 トラブルは回避し、正解だけを選び、自分の願望を最短距離で叶えることが「成功」だと教えられてきました。
だからこそ、「御心のままに」という言葉は、時として私たちの耳に、自分の自由を奪われる敗北の合図のように響いてしまいます。 「自分の願いが叶わないこと」を極端に恐れ、何かに執着し、握りしめた手を緩めることができずに、私たちは魂を疲れさせていないでしょうか。
3. 核心:委ねることで生まれる「真の強さ」
イエス様がゲツマネの園で示されたのは、諦めではありません。それは、自分よりも遥かに大きな「愛の計画(御心)」への、圧倒的な信頼です。
「私の願い」という小さな枠組みを超えて、神様の「御心」という大海原に身を投じること。 その瞬間に、主は十字架を担い通すための、天からの真の力を得られました。
教訓は、**「手放すことは、失うことではなく、神様の力に満たされる準備である」**ということです。
現代人へのメッセージ
「どうして思い通りにいかないのか」と、夜も眠れぬほどに悩んでいるあなたへ。 主もまた、あの夜、あなたと同じように苦しまれました。
御心を求めることは、自分の感情を殺すことではありません。 あなたの「嫌だ」「苦しい」「こうしてほしい」という本音をすべて神様にぶつけた上で、最後に「でも、あなたを信頼します」と一言添えてみることです。
その不器用な祈りの中にこそ、現代のどんな代行業者も、どんなテクノロジーも提供できない「魂の安らぎ」が宿ります。 すべてを自分で背負う必要はありません。主が、その重荷の半分を、すでにゲツマネの園で背負ってくださったのですから。
今日も、精一杯に生きることです。主のために、人々のために。
今日、あなたが「これだけは譲れない」と握りしめているものは何ですか? ほんの少しだけ、その指の力を抜いて、主の前に差し出してみませんか。もしよろしければ、今のあなたの「ゲツマネの祈り」を、静かに私に分かち合ってください。共にその重みを分かち合いましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿