2026年2月23日月曜日

朝ラン32キロの中で

 


本当の「強い国」の定義:経済的肥大ではなく、精神的成熟を誇る国

「強い国」とは、GDPのグラフが右肩上がりである国ではなく、**「暗闇の中でも、一人ひとりが自律した灯火として立ち続けられる国」**であると定義します。

1. 精神的インフラ:不義に対する「免疫力」

どれほど強固な堤防を築いても、内側から汚職や不誠実というシロアリに食われれば、国は脆く崩れ去ります。

  • 必要なもの: 損得勘定ではなく「正義」を貫く勇気です。不義が行われた際、それを「世渡り」として見過ごすのではなく、静かに、しかし毅然と「否」と言える国民の質こそが、最強の防衛力となります。

2. 価値の物差し:人格という「真の資産」

経済力で人を評価する国は、不況が来た瞬間に人間を「廃棄物」として扱います。

  • 必要なもの: 肩書きや年収という「外装」ではなく、その人の誠実さや忍耐といった「人格」を最も尊ぶ価値観です。弱者を切り捨てるのではなく、その弱さの中にこそ神聖な価値を見出す文化がある国は、いかなる時代の荒波にも動じません。

3. 善悪の審美眼:情報の海で「真実」を見抜く力

マンモン主義は、嘘を「マーケティング」という言葉ですり替え、悪を「効率」という言葉で正当化します。

  • 必要なもの: 流行や扇動に流されず、普遍的な「善」と「悪」を区別できる審美眼です。これは教育、あるいは「御言葉(ロゴス)」に根ざした深い洞察力からしか生まれません。

4. 永遠への接続:死を越えた「希望の保持」

「今、ここ、自分だけ」の幸福を追求する国は、未来を食い潰します。

  • 必要なもの: 永遠の命という視点、つまり「自分の生涯を超えて続く価値」に接続している国民の姿です。死の準備をし、生と死を神様の掌(てのひら)の中で捉える人々が多い国は、刹那的な欲望に溺れることなく、次世代のために尊い犠牲を払うことができます。

結論:強い国とは「神様を畏れる一人」の集積である

一国の強さとは、結局のところ、**「誰も見ていない場所で、自分を律して正しく歩める人が何人いるか」**という数に比例します。経済という「パン」は必要ですが、人はそれだけで生きるものではありません。不義が定着しにくい国を作るのは、法律の数ではなく、国民一人ひとりの心の中に刻まれた「良心」という神の法です。

「義は国を高め、罪は民の恥となる。」(箴言 14:34

この聖書の言葉こそが、富の支配を超える「真の強国」への唯一のロードマップではないでしょうか。今朝はこういうことを考えながら32キロを走りました。

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