六十歳という年齢は、東洋の伝統では「還暦」と呼ばれます。これは単に暦が一周したということだけでなく、**「赤ちゃんに戻って新しい人生を始める」**という、瑞々しい再生の意味が込められています。六十年という歳月を走り抜けてきたからこそ見えてくる、これからの社会における「あるべき姿」について、人生の長距離ランナーとしての視点から四つの柱にまとめました。
1. 「聴く」という重厚な責任
若き日の責任が「語ること」や「成し遂げること」であったとするならば、六十歳からの責任は**「沈黙し、聴くこと」**へとシフトします。
- 受容の器: 自分の経験を押し付けるのではなく、若い世代の葛藤や迷いをそのまま受け止める「静かな湖面」のような存在であること。
- 共感の深さ: 多くの痛みを知ったからこそ、八木山の橋で立ち止まるような絶望に寄り添う、言葉を超えた共感を持つこと。
「教える人」から「共に嘆き、共に喜ぶ人」へ。その沈黙の深さが、社会に安心感という灯をともします。
2. 感情を飼いならす「人格の円熟」
一分ごとに揺れ動く感情をコントロールすることは、成熟した大人の最も美しい徳の一つです。
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項目 |
以前の姿(若さ) |
これからの姿(円熟) |
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反応 |
即座に反論し、正義を貫く |
一呼吸置き、相手の背景を察する |
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評価 |
成果や数字に一喜一憂する |
プロセスと「今、ここ」の質を愛でる |
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逆境 |
自分の力で解決しようと焦る |
主に錨を下ろし、静かに時を待つ |
自分を支配するのではなく、自分を主の平安に委ねる姿。その**「揺るがない静けさ」**こそが、混乱する社会において人々に道を示すコンパスとなります。
3. 「命のバトン」を磨き直す姿勢
六十歳は、自分の死生観を確立し、それを次世代へどう手渡すかを真剣に考える時期です。
- 歴史の証人: 仙台のキリシタン殉教碑に目を留めたように、埋もれがちな「大切な記憶」を掘り起こし、語り継ぐ使命。
- 教育的配慮: 娘の実習を食事で支えるように、直接的な指導ではなく「生活の背中」で見守り、育む慈しみ。
- 使命の継続: 「なぜ生きるのか」という問いに対し、神を愛し隣人を愛するというシンプルな答えを、身をもって証明し続けること。
4. 身体を「宮」として手入れする規律
身体は聖霊が宿る「神の宮」です。六十歳を過ぎてからの身体の管理は、自己満足のためではなく、**「最後まで主の道具として使い切るためのメンテナンス」**という利他的な意味を持ちます。
- 規律ある日々: 二月の冷気の中を走るように、自分を律する日々のルーティン(走ること、祈ること、食べること、休むこと)を崩さない。
- 弱さの受容: 衰えを否定せず、それさえも「主の恵み」として受け入れ、今の自分にできる精一杯を捧げる潔さ。
結びに:六十歳からの「精一杯」
六十歳からの人生は、名詞としての「成功」を積み上げるのではなく、動詞としての「愛」を紡ぎ続ける時間です。一歩一歩の足音が礼拝となり、キッチンで引く出汁の湯気が祈りとなり、石段を上る息遣いが隣人へのエールとなる。そんな、日常のすべてが聖なるものへと昇華される生き方こそが、六十歳を迎えた者に許された最高の贅沢であり、責任ではないでしょうか。
今日も、精一杯に生きることです。主のために、人々のために。
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