2026年2月26日木曜日

【灯をともす:四旬節の旅路】第9日

 




【灯をともす:四旬節の旅路】第9日:ペトロの拒絶 ―― 「知らない」と言った後の夜明け

 

1. 聖書の場面:三度の否認と鶏の声

「するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。」(マタイによる福音書 2674-75節)

大祭司の屋敷の中庭で、焚き火にあたっていたペトロに突きつけられたのは、「お前もあの男の仲間だろう」という鋭い指摘でした。恐怖に震えた彼は、呪いの言葉まで口にして「あんな人は知らない」と三度も言い放ちました。その直後に響いた鶏の声は、彼の慢心と弱さを白日の下にさらしました。主を誰よりも愛していると豪語していたペトロは、自分自身のどうしようもない「裏切り」に直面し、暗闇の中で激しく泣き崩れたのです。

 

2. 心の揺らぎ:理想と現実のギャップ

現代を生きる私たちも、ペトロと同じ弱さを抱えています。「正しいと信じる道」を歩みたいと願いながら、保身のために沈黙し、周囲の空気に流され、大切な信念を「知らない」と言ってしまう瞬間があります。特に、今の効率と成功が重視される社会では、自分の弱さや失敗を認めることは「負け」を意味するように感じられます。失敗した自分、約束を守れなかった自分を許せず、ペトロのように「心の外」へ出て、一人泣き続けている人も少なくありません。

 

3. 核心:主の眼差しは「断罪」ではなく「招き」

しかし、この物語の真のクライマックスは、ペトロの涙ではなく、彼を見つめていた主イエスの眼差しにあります。主は彼が裏切ることを知った上で、それでも彼のために祈っておられました。

鶏の声は、ペトロを裁くための鐘ではなく、彼が「神様の憐れみなしには一歩も歩けない存在であること」を思い出させるための合図でした。主は、私たちが自分自身の底(限界)を打ったその場所で、新しい関係を始めようと待っておられます。


 


現代人へのメッセージ

2026年の今日、もしあなたが自分の不甲斐なさに絶望し、「自分はもう失格だ」と夜明け前の暗闇にいるなら、どうかこの鶏の声を「希望の音」として聴いてください。

あなたが自分を諦めても、主はあなたを諦めません。 三度拒絶したペトロに、主は後に三度「わたしを愛するか」と問いかけ、再び使命を与えられました。

失敗は終わりではなく、神様の圧倒的な恩寵(恵み)に身を委ねるための「新しいスタートライン」です。 泣き腫らした目の先に、主が用意してくださる新しい夜明けが、今まさに始まろうとしています。

今日も、精一杯に生きることです。主のために、人々のために。

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