2026年2月25日水曜日

【灯をともす:四旬節の旅路】第8日

 


【灯をともす:四旬節の旅路】第8日:裏切りと沈黙 ―― 独り残された主の眼差し

 1. 聖書の場面:散りゆく弟子たち

「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ去った。」(マルコによる福音書 1450節)

ゲツセマネの祈りの直後、松明と武器を持った群衆が押し寄せます。接吻をもって主を裏切ったユダ、そして剣を抜いて抵抗しようとしたものの、主の制止にあって狼狽した弟子たち。ほんの数時間前まで「たとえ死ぬことになっても、あなたを見捨てません」と誓い合っていた彼らは、恐怖に飲み込まれ、闇の中へと散っていきました。主イエスは、この地上で最も信頼していた友人たちから、たった一人で暗闇の中に取り残されたのです。

 


2. 心の揺らぎ:信頼が崩れるとき

現代を生きる私たちにとって、最大の痛みは「裏切り」かもしれません。 信じていた仲間が離れていく。誠実に尽くした相手から背を向けられる。あるいは、教会の存続や伝道に必死に取り組んでいる中で、自分一人だけが空回りしているような、冷たい孤独を感じる夜。

「なぜ、自分だけがこんな目に」という怒りと、何も答えてくださらないかのような「神の沈黙」が、私たちの心を凍えさせます。

 


3. 核心:沈黙の中に響く愛

しかし、主イエスはこの孤独をあえて受け入れられました。 逃げ去る弟子たちを追いかけることも、呪うこともされませんでした。なぜなら、主は彼らの「弱さ」をあらかじめ知っておられ、その弱さのすべてを背負って十字架へ向かうことこそが、彼らを本当の意味で救う道だと知っておられたからです。神様の「沈黙」は、冷淡さではなく、私たちの想像を超えた「深い愛」の現れであることがあります。言葉にならないほどの痛みの時、主は雄弁な説得ではなく、静かな沈黙をもって、私たちの傍らに立ち続けてくださいます。


 


現代人へのメッセージ

2026年の今日、あなたがもし「誰にも分かってもらえない孤独」の中にいるなら、思い出してください。 主イエスは、弟子たちが逃げ去ったあの暗闇の中で、あなたを見つけるために独り残られました。「見捨てられた」と感じるその場所は、実は「主と二人きりになれる」最も聖なる場所でもあります。 多くの声や情報が溢れる現代だからこそ、あえて主と共に「沈黙」の中に身を置いてみませんか。あなたが主を見捨てることがあっても、主があなたを見捨てることは決してありません。 その揺るぎない事実に翼を休めるとき、私たちは再び、静かな勇気を持って立ち上がることができます。

今日も、精一杯に生きることです。主のために、人々のために。

0 件のコメント:

コメントを投稿