2026年2月24日火曜日

不足は「信仰」を育てる最高のサプリメント

 


不足は「信仰」を育てる最高のサプリメント

私たちは日々、「時間が足りない」「お金が足りない」「忍耐が足りない」―― そんな「足りない」という言葉に囲まれて生きています。 けれど、信仰の世界では、この「不足」こそが宝物なのです。ある人がこう言いました。 「神様を信頼するためには、いくらかの困難が必要だ」と。

確かに、すべてが順調で、自分の力が満ちているとき、 私たちはつい、神様を思い出すことを忘れてしまいがちです。 でも、心も体も限界を感じ、自分の「器」が空っぽになったとき、 私たちは初めて、全能の神を見上げるようになります。

「足りない」と感じるその部分こそ、 神様が私たちの信仰と従順を育てるために、あえて残してくださった余白なのかもしれません。

この「余白」を、恵みとして受け止めるか、 あるいは物足りなさとして不満に変えてしまうか―― その選択は、私たち自身に委ねられています。 けれど、その受け止め方ひとつで、人生の質は大きく変わっていくのです。

今日は娘が新しい病院での実習初日。 来週までの期間、たくさんのことを学び、気づき、 そして誰かのために働く喜びを見つけてくれたらと、祈り続けています。

教会では昨日と今日、教区の音楽研修会が開かれ、 オルガンレッスンの会場として用いられました。 音が響くたびに、礼拝堂が少しずつ温まっていくようでした。

ノアちゃんの夕食も終わり、そろそろおやすみの時間。 でも、まだ家族の帰宅を待っているようで、 きっと玄関の音に一番に反応して、しっぽを振って迎えてくれることでしょう。 その姿に、家族の温もりを感じます。

ある教会員の方が、「誰もいない家に帰るのは寂しい」と話してくれました。 一人暮らしの孤独は、時に心を冷たくします。 だからこそ、その一人ひとりに寄り添い、共に歩む群れでありたいと願っています。 また、手紙を書こうと思っています。言葉が、誰かの心にそっと寄り添えますように。今日は22キロを走りました。 明日は大年寺の階段トレーニングと、ゆっくりとした散歩の予定です。 走ることも、祈ることも、暮らしの一部。 与えられた一日をどう生きるかは、自分自身の選びにかかっています。

環境や状況のせいにせず、 「今日、自分はどう生きるか」を自分で決めていく。 それが、信仰の歩みでもあるのだと思います。

今日も、最後まで精一杯に生きることです。 主のために、人々のために。 そして、信仰という見えない力を、心の深くに育てながら。

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