「命の重さ」と向き合うとき
―― 若き看護学生が見た、現代日本の“祈りの現場”
ある20歳の看護学生が、重症心身障害の方々が入院する病棟で実習を経験しました。そこは、医療技術と人間の尊厳が鋭く交差する「命の最前線」。
彼女が実習後にぽつりと漏らした「急に大人になった気がする」という言葉には、教科書には載っていない“命の重さと不条理”を、肌で受け止めた静かな覚悟がにじんでいました。
言葉を持たない患者さんと向き合うとき、看護師は「魂で聴く」姿勢を求められます。沈黙の中で、彼女は「人間の存在そのものの価値」に触れたのかもしれません。
また、30年にわたり入院し、家族の面会がない患者さんの姿からは、「家族だけで背負うことの限界」と、それを支える社会の脆さが浮かび上がります。
介護の現場では、献身が美徳として語られる一方で、それが「終わりなき十字架」となる現実もあります。
「互いの重荷を担い合いなさい」(ガラテヤ6:2)
この聖句のように、重荷は本来、分かち合うべきもの。しかし現場では、特定の家族や医療従事者が、身を削って担っているのが現実です。
それでも彼女は、実習を終えたその足で、日常のアルバイト先へと向かいました。生と死の狭間から、ラーメンの湯気立つ厨房へ――。 そのギャップを往復する姿に、私は大きな希望を見出します。現実を生きる力、そして祈りを携えて歩む若者のたくましさ。
今、多くの人がこのような現場に立ち会い、心を揺さぶられています。 命の現場で、誰かの痛みに触れ、無力さに打ちのめされながらも、それでもなお、誰かのために立ち続けようとする姿。
それは、静かなる祈りのかたちであり、私たちが見失ってはならない「人間らしさ」の証なのかもしれません。
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