【灯をともす:四旬節の旅路】第11日:茨の冠 ―― 嘲笑の中に輝く王の尊厳
1. 聖書の場面:痛ましい王の装い
「兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせた。」(ヨハネによる福音書 19章2節)
ローマの兵士たちは、主イエスを徹底的に辱めました。鋭い棘を持つ茨を無理やり編み込んだ冠を頭に押しつけ、王権の象徴である紫の衣を皮肉として着せたのです。
彼らは主の前に跪き、「ユダヤ人の王、万歳」と嘲笑いました。しかし、この最も無残で滑稽に見える姿の中にこそ、神の国の王としての本当の尊厳が隠されていました。主は一言も反論せず、その痛みと侮辱を静かに受け入れられました。
2. 心の揺らぎ:プライドと「評価」の檻
現代を生きる私たちは、人からの評価やプライドという「見えない冠」を大切に守ろうとしています。「立派に見られたい」「弱みを見せたくない」「正当に評価されたい」。その願いが叶わないとき、私たちは深く傷つき、憤り、あるいは自己嫌悪に陥ります。
「一生懸命やっているのに、なぜ馬鹿にされるのか」「誠実に走っているのに、なぜ誰も理解してくれないのか」。そんな思いが、心に茨の棘のように刺さることがあります。世の中の「成功」という基準に照らせば、私たちの信仰や誠実さは、時として兵士たちに嘲笑われた「茨の冠」のように無力で、時代遅れに見えるかもしれません。
3. 核心:愛こそが、真の「冠」である
しかし、主イエスが被られた茨の冠は、実は「愛の王冠」でした。主は、私たちの高慢さ、嘘、そして「自分を王として生きてしまう罪」のすべてを、その棘とともにご自分の身に引き受けられたのです。
主がこの辱めを耐え抜かれたのは、力による支配ではなく、愛による自己犠牲こそが、世界を本当に変える力であることを知っておられたからです。私たちがどれほど惨めな状況に置かれ、人から軽んじられたとしても、神様の目には、私たちは「キリストが命を懸けて守った、尊い王の子」なのです。
現代人へのメッセージ
2026年2月28日、土曜日。 今日、誰かの言葉に傷ついたり、自分自身の不甲斐なさに落胆したりしていませんか。
もしそうなら、茨の冠を被りながら、あなたを静かに見つめておられる主を思い出してください。
あなたの価値は、世間の評価(冠)が決めるのではありません。主があなたのために流された血、その愛の深さこそが、あなたの価値です。
他人の評価という檻から自由になり、主の愛という本当の冠を頂いて、堂々と顔を上げましょう。不器用でも、笑われてもいい。あなたは主にとって、かけがえのない宝物なのです。
今日も、前進です。
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