【灯をともす:四旬節の旅路】
第23日:墓の封印 ―― 沈黙の中で「待つ」勇気
1. 聖書の場面:石が置かれた土曜日
「翌日、すなわち準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々はピラトのところに集まって……『三日目に復活すると言っていた。墓を見張らせてほしい』と言った。ピラトは『番兵を連れて行くがよい。……墓の番をさせるがよい』と言った。彼らは行って、石に封印をし、番兵をおいて墓を見張らせた。」(マタイ27:62-66)
主イエスが息を引き取られ、墓に葬られた後、その入口には巨大な石が置かれ、さらに権力によって「封印」が施されました。
誰も近づけず、誰も中から出てこられないように。
弟子たちにとって、その時間は希望が完全に閉ざされたような、冷たく重い沈黙の時でした。 神様でさえ沈黙しているように感じられる――そんな「待つ」時間は、死よりも辛かったかもしれません。
2. 心の揺らぎ:15年経っても「動かない石」の前で
震災から15年。 あるいは、大切な人を見送ってから数日しか経っていない方もいるでしょう。私たちは時に、自分の力ではどうしても動かすことのできない「喪失」という大きな石の前で立ち尽くします。
どれほど時間が経っても、心の奥に残る痛みが消えないことがあります。介護の終わりが見えない不安、癒えない心の傷、誰にも言えない孤独。 それらはまるで、墓を見張る番兵のように、私たちの前に立ちはだかり、夜の静けさをさらに深くします。
3. 核心:封印の裏側で、神は動いている
しかし、聖書が語る驚くべき真理があります。
「人間が封印を完璧だと思っている時こそ、神は最大の逆転劇を準備しておられる。」
番兵が見張り、石が封印されていた沈黙の土曜日。 その裏側では、死の力を内側から打ち破る、宇宙で最もダイナミックな命の爆発が準備されていました。神の沈黙は拒絶ではありません。
それは、私たちが想像もできない「再生」のための、聖なる“溜め”の時間なのです。
4. 現代を生きる私たちへのメッセージ
2026年3月12日、木曜日。
「もう15年経ったのだから」 「もう終わったことだから」
そんな世間の声と、自分の中にある消えない寂しさとの間で、心が引き裂かれそうになっているあなたへ。
もし今、あなたが墓の石を見つめて立ち止まっているとしても、それは「停滞」ではありません。
主イエスもまた、三日間、墓の中におられました。
主は、あなたの「待つ苦しみ」を知っておられます。 そして、あなたが必死に石を動かそうとしなくても、神の時が来れば、その重い封印は内側から光によって弾け飛びます。
寂しさや悲しみを抱えたまま、今日という日を静かに「待つ」。 その忍耐こそが、復活の朝を迎えるための最高の準備です。
主と共に、新しい一歩を。
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