2026年3月16日月曜日

おかしな世界」を生きる私たちへ

 


おかしな世界」を生きる私たちへ ―― 矛盾と希望のあいだで

1. 「矛盾」という人間の正体

私たちは、ときに驚くほど矛盾した存在です。 平和を願う口で、誰かを傷つける言葉を放つ。 愛を語る心で、隣人の成功を妬んでしまう。

神学者ラインホルド・ニーバーは、この人間の姿をこう言い表しました。

「人間の原罪とは、自らの不完全さを認めず、自分が神になろうとすることだ。」

現代は技術も効率も極限まで高まり、表面だけ見れば「完璧な世界」に近づいているように見えます。 しかしその裏側では、憎しみや妬みや欲望が、デジタルの速度で増幅されているだけなのかもしれません。私たちは便利になったのではなく、むしろ「自分の影」と向き合う時間が減っただけなのかもしれません。

 


2. 世界はどこへ向かうのか

「罪ある世界は必ず滅びる」 この言葉は、ただの裁きではありません。

聖書が一貫して語るのは、

「不条理な今の秩序は、永遠には続かない」

という、究極の希望です。

キリスト教の終末論(エスカトロジー)では、世界は破滅に向かっているのではなく、 「新しい創造」 へと向かう産みの苦しみの中にあると語られます。

  • 滅びゆくもの:支配、暴力、搾取、自己中心の「自分の王国」
  • 現れゆくもの:神の愛がすべてを治める「神の国」

世界の混乱は、終わりではなく「始まりの痛み」なのです。

 


3. この「おかしな世界」で、私たちはどこに立つのか

以前お話しした「地の塩」という言葉を思い出します。 塩が必要なのは、そこが「放っておけば腐る場所」だからです。世界が完全で、正しい人ばかりなら、塩は必要ありません。 しかし現実はそうではありません。

聖書はこう語ります。

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1:5

だからこそ、私たちはこの「おかしな世界」に絶望して背を向けるのではなく、 その真ん中で、同じように弱さを抱えた「おかしな人間」の一人として、 それでも主の愛を握りしめて歩き続けるのです。32キロのランニングの終わりに見える景色が、走った者にしか見えないように、 この世界を信仰をもって走り抜いた先には、 神の守りと希望の景色 が必ず広がっているはずです。

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