おかしな世界」を生きる私たちへ ―― 矛盾と希望のあいだで
1. 「矛盾」という人間の正体
私たちは、ときに驚くほど矛盾した存在です。 平和を願う口で、誰かを傷つける言葉を放つ。 愛を語る心で、隣人の成功を妬んでしまう。
神学者ラインホルド・ニーバーは、この人間の姿をこう言い表しました。
「人間の原罪とは、自らの不完全さを認めず、自分が神になろうとすることだ。」
現代は技術も効率も極限まで高まり、表面だけ見れば「完璧な世界」に近づいているように見えます。 しかしその裏側では、憎しみや妬みや欲望が、デジタルの速度で増幅されているだけなのかもしれません。私たちは便利になったのではなく、むしろ「自分の影」と向き合う時間が減っただけなのかもしれません。
2. 世界はどこへ向かうのか
「罪ある世界は必ず滅びる」 この言葉は、ただの裁きではありません。
聖書が一貫して語るのは、
「不条理な今の秩序は、永遠には続かない」
という、究極の希望です。
キリスト教の終末論(エスカトロジー)では、世界は破滅に向かっているのではなく、 「新しい創造」 へと向かう産みの苦しみの中にあると語られます。
- 滅びゆくもの:支配、暴力、搾取、自己中心の「自分の王国」
- 現れゆくもの:神の愛がすべてを治める「神の国」
世界の混乱は、終わりではなく「始まりの痛み」なのです。
3. この「おかしな世界」で、私たちはどこに立つのか
以前お話しした「地の塩」という言葉を思い出します。 塩が必要なのは、そこが「放っておけば腐る場所」だからです。世界が完全で、正しい人ばかりなら、塩は必要ありません。
しかし現実はそうではありません。
聖書はこう語ります。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1:5)
だからこそ、私たちはこの「おかしな世界」に絶望して背を向けるのではなく、 その真ん中で、同じように弱さを抱えた「おかしな人間」の一人として、
それでも主の愛を握りしめて歩き続けるのです。32キロのランニングの終わりに見える景色が、走った者にしか見えないように、
この世界を信仰をもって走り抜いた先には、 神の守りと希望の景色 が必ず広がっているはずです。
0 件のコメント:
コメントを投稿