【灯をともす:四旬節の旅路】第27日:沈黙の強さ ―― 言い訳をしないという勇気
1. 聖書の場面:裁判の庭でのイエスの沈黙
「大祭司は立ち上がってイエスに言った。『何も答えないのか。この者たちがあなたに対して不利な証言をしているではないか。』しかし、イエスは黙っておられた。」
(マタイによる福音書 26章62-63節)
不当な裁判、偽りの証言、怒号が飛び交う殺伐とした空気の中、主イエスはただ沈黙を守られました。弁明しようと思えば、いくらでも正論を語る知恵も力も持っておられたはずです。しかし、主は自らを正当化する道を選ばず、ただ神の御計画を静かに受け入れられました。この「沈黙」は、弱さではなく、何ものにも揺るがない圧倒的な強さの表れでした。
2. キリスト者への教訓:神の裁きにすべてを委ねる
私たちは誤解されたり、理不尽な非難を受けたりすると、つい必死になって自分を弁護したくなります。「自分は正しい」と証明しようとして言葉を重ね、かえって心に平安を失ってしまうことも少なくありません。
しかし、主イエスの沈黙は、**「最終的な判断は神様がしてくださる」**という絶対的な信頼を教えています。私たちが言葉を飲み込み、静かに主に委ねるとき、そこには人間のどんな議論よりも力強い「神の正義」が働き始めます。四旬節の旅路、私たちは言葉を飾るよりも、沈黙の中で主を見つめる静かさを大切にしたいと思います。
3. 現代人へのメッセージ:溢れる言葉の中で「静止」する
SNSやニュースを通じて、一秒ごとに大量の言葉が浴びせられる現代。私たちは常に何かに対して意見を持ち、発信し、反応し続けることに疲れ果てています。沈黙を守ることは、現代社会において、時に「敗北」や「無関心」とさえ捉えられがちです。
けれど、本当の答えは、しばしば騒がしい言葉の外側にあります。誰かを攻撃する言葉が喉元まで出かかったとき、あるいは自分を守るための言い訳を探して心が波立っているとき。一度立ち止まり、深く息を吸って、静寂を選んでみませんか。
沈黙は、あなたの弱さではありません。それは、あなたが「本当の真理」を知っているという確信から来る、品格ある強さなのです。
黙想のひととき
- 今日、あなたが「言葉で解決しよう」としている問題は何ですか?
- その問題を、主イエスのように一旦「沈黙」の中に置いて、神様に任せてみませんか。
今日、新しく注がれる光が、あなたの足元を優しく照らしますように。
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