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2026年5月10日日曜日

意志を越えて、風の中へ

 


快晴の路上の「一歩」 ―― 意志を越えて、風の中へ

祭りの朝、独り駆ける25キロ

五月十日、日曜日。今日は「仙台国際ハーフマラソン」が開催される日です。 街が号砲を待つ熱気に包まれる数時間前、私は午前四時の静寂の中で、自分自身のハーフマラソンをスタートさせました。

昨年のように距離を欲張ることはせず、今日はあえて「25キロ」と決めて臨みました。  平均ペースは506秒、合計タイムは2時間0736秒。五日連続のランニングという負荷がかかっているはずなのに、不思議と足は軽く、五月の快晴の空のように澄み渡ったリズムで地面を蹴ることができました。

今、私は自分の走るペースを身体の感覚だけで概ね把握できるようになりました。それは、長年積み重ねてきた路上の記憶が、身体に刻まれているからです。


 


「何もしない」が奪うもの

すがすがしい風が吹き抜ける道を走り続ける。この快感、この恵み、そして高鳴る鼓動という感情。これらはすべて、自分の脚で地面を蹴り、前に進んだからこそ得られたものです。「何もしなければ、何も得られない」それはあまりにも厳しい正論かもしれません。

けれど、自分が変わることを、あるいは世界が変わることを願うならば、私たちはどこかで「アクション」を起こさなければなりません。自らの意志で、自らの力で、最初の一歩を踏み出す……

しかし、私たち人間は、いつも強い意志を持てるわけではありません。どうしても力が出ないとき、自分一人では立ち上がれないほどに心が疲弊しているとき。そんな「意志の弱さ」に直面したとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。


 


内なる「私」から、外なる「一歩」へ

意志を強くしようと、自分の中に籠もっていても答えは見つかりません。  大切なのは、自分を律しようとする努力以上に、まず「外に向けて一歩を踏み出す」ことそのものです。聖書は、神様が私たちを外へと連れ出される姿をこう描いています。

「主は言われた。『外に出て、山の上で主の前に立ちなさい。』」(列王記上 1911節)

洞窟の中に閉じこもり、絶望していた預言者エリヤに、神様はまず「外へ出なさい」と命じられました。意志が伴わなくてもいい。確信がなくてもいい。ただ、重い腰を上げて一歩外へ出る。冷たい朝の空気に触れる。誰かに「おはよう」と声をかける。その小さな、しかし勇気ある「外向き」の行動の中に、神様の風が吹き込み、新しい意志と力が宿り始めるのです。


 


すべては、踏み出すことから始まる

今日の快晴の空も、頬を撫でる風も、家の中で座っていては「知識」でしかありませんでした。実際に走り出し、汗を流したからこそ、それは私の「命の輝き」へと変わりました。変わりたいと願いながら、足が竦んでいる皆様。意志の強さを測る必要はありません。ただ、靴を履いて玄関を開ける。あるいは、一通のメッセージを誰かに送ってみる。その「外へのアクション」こそが、不条理な停滞を打ち破る唯一の鍵です。

あなたが踏み出したその一歩を、主は決して見逃さず、背中をそっと押してくださるでしょう。


 


新しい風を、その身に受けて

今日という一日は、まだ始まったばかりです。 たとえ昨夜まで悩みの淵にいたとしても、今日はもう一度、外の世界へ向かって一歩を踏み出してみませんか。最初の一歩さえ踏み出せば、あとは風が、そして主の恵みが、あなたをふさわしい場所へと導いてくれます。    さあ、光の中へ。

今日も、共に前進です。

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