身体の声、心の選択 ―― 路上で紡がれる「思索」という名の確かな一歩
午前四時十七分、暗がりのなかの選択
23時頃に一度目を覚まし、散歩と仕事、1時ごろに二度寝をして、再び時計の針が午前四時十七分を指したとき、私の新しい一日が目を覚ましました。静まり返った家の中、いつもの朝のルーティンが静かに始まります。
ウェアに着替えながら、今朝は少し迷いがありました。身体は「今日は少し休んだらどうだい」と優しく休息を提案してくる。けれど、心の奥からは「いや、走り出そう」という声が響いてくる。身体と心の静かな闘い。そのせめぎ合いのなかで、今朝は気持ちが勝り、私は玄関のドアを開けて一歩を踏み出しました。休むか、走るか。それを決めるのは、いつだって他でもない自分自身の中にあります。
西公園への路と、これから始まる季節との闘い
今日の足は、西公園の方向へと向かいました。まだ朝のうちは涼しい風が街を吹き抜けていき、その心地よさを肌に感じながら、最終的に22キロを無事に完走。1キロあたり5分13秒のペースを保ち、心拍数も134bpm、合計タイムは1時間55分36秒という、極めて正常で安定した朝ランを終えることができました。
しかし、気持ちよく走り終えたからといって、過信は禁物です。これから先は、本格的な「夏場との闘い」が控えているからです。
かつてのようにただ手放しで喜ぶだけの夏ではなく、熱中症や厳しい暑さと向き合わねばならない季節が近づいています。だからこそ、「決して無理はしない」という硬い決意が不可欠です。
なぜなら、私にとって走るということは、単に距離を競ったり、身体を極限まで追い込んだりすることが目的ではないからです。私にとってのランニングとは、神様の前で行う「祈り、黙想、そして思索」のための、かけがえのない静謐な時間そのものなのです。
内なる物差しに従い、今日を耕す知恵
走ることが深い思索の時間であるからこそ、その日の身体のコンディションに合わせて、距離も、時間も、自分の内なる物差しで柔軟に決めて走ることが何よりも重要になります。昨日の自分や他人のスピードと比較するのではなく、今朝の自分が神様から与えられている体力を見極め、それに寄り添ってステップを刻む。それこそが、長く、健やかに歩み続けるための信仰的な知恵です。聖書は、私たちが日々の歩みをどのように進めるべきかを、このように指し示しています。
「あなたの歩む道を平らにせよ。そうすれば、あなたの道はすべて確かなものとなる。右にも左にも曲がるな。あなたの足を悪から遠ざけよ。」(箴言4章26〜27節)
無理をして道を外れることなく、自らのコンディションを冷静に見極めて平らな道を一歩ずつ刻むこと。その実直な姿勢は、走り終えたあとの日常の暮らし、家族への具体的な愛の仕込みへと、そのまま真っ直ぐに繋がっていきます。
今日を手渡された、確かな愛のミッション
新しく始まった一週間のなかで、あなたの「心」と「身体」は、今どのような対話を交わしているでしょうか。周りのペースに合わせて無理に走り続け、魂の声を聴くことを忘れてはいませんか?
私たちは、自分の限界を自分で見極め、選択する自由を与えられています。今日を精一杯に生きるということは、無茶をすることではなく、与えられた命のサイズに合わせて誠実に歩むということです。
- 内なる声を聴く: 身体の提案と心の提案のどちらにも耳を傾け、無理のない「今日の最適な選択」を自分で下す。
- 目的を見失わない: 目の前のタスクをこなすこと自体を目的にせず、それが自分の魂を耕す時間(思索や祈り)になっているかを見つめ直す。
- 身近な愛を仕込む: 今日は仙台まで妻を送り、その帰りにロピアで買い物をする予定です。娘の好きなものを買って帰ること。夕食の「究極のメニュー」に向けて小さな備えを整えること。そのささやかな家族への仕込みの中にこそ、確かな平和があります。
与えられた一日を、精一杯に
22キロを走り抜いた脚の感覚を覚えたまま、今日の私は、妻の送迎や買い出しという、次なる大切な日常のスタートラインに立っています。
これから始まる夏との闘いを前に、私たちは焦る必要はありません。その日その日のコンディションに合わせ、無理をせず、しかし心には確かな情熱の火を灯して、手渡された一日一日を精一杯に生きるだけです。美味しい朝の空気をもう一度吸い込んで、大切な人の笑顔のために、それぞれの持ち場へと力強く踏み出していきましょう。
今日も、共に前進です。
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