託された場所で、それぞれの「一歩」を ―― 喉の痛みと、朝日のエール
祭りのあとの静寂を、光とともに駆ける
昨日の仙台国際ハーフマラソンの熱狂が、嘘のように静まった月曜日の朝。私は午前四時半、少し重たい身体を動かして路上へと踏み出しました。昨日からのどの痛みが続いており、正直に言えば疲れも感じていましたが、朝日が街を黄金色に染め始める中、自分自身と約束した二十五キロを無事に完走しました。
これで六日連続の朝ラン。朝の冷たく澄んだ空気を肺に満たし、自分の足音だけが響く道を走り抜けることで、心の中にはのどの痛みも疲れも「何とか乗り切れる」という静かな覚悟が灯りました。
家族それぞれの「持ち場」へ
今日から三日間、私はホテル日航成田でのセミナーに参加します。最初の講演を担当するという重責を担い、仙台を離れます。
家族もまた、それぞれの場所へと向かいます。 娘は今日も実習。今朝は「今日は三歳児の担当だよ」と教えてくれました。小さな命と向き合うその一日は、きっと体力も神経も使うことでしょう。けれど、どうかその大変さを、彼女らしい喜びへと変えていけますように。妻は午後のアルバイトへ。今週は私が車で送ることができませんが、彼女にとってのその道のりが、良い運動、良い気分転換になることを願っています。そして愛犬ノアは、今週は妻との散歩を楽しみます。
私が不在にする間、家族が不便を感じることもあるかもしれません。しかし、互いに自立し、自分の持ち場で誠実に生きることは、家庭という共同体をより深く、強く結びつける「祈りの時間」でもあるのだと気づかされます。
弱さの中にこそ宿る、確かな助け
喉が痛み、身体に疲れがある。そんな「万全ではない自分」で大切な講演の壇上に立つとき、私は改めて、自分の力で語るのではないことを悟ります。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(コリントの信徒への手紙二 12章9節)
私たちは、完璧な状態でなければ役割を果たせないと思い込み、不安になります。しかし、聖書が教えるのは、むしろ自分の弱さを知る者こそが、神様の大きな力に委ねることができるという真理です。私の声がかすれても、その言葉に「命」が宿るならば、それは主の働きに他なりません。
移動を、途切れることのない「巡礼」に
今回はスペインへの巡礼ではなく国内の移動なので、ノートパソコンを携えて旅立ちます。それは、場所が変わってもブログを通じて皆様と繋がっていたい、この思索の歩みを止めたくないという願いからです。移動とは、単なる「地点から地点への移動」ではありません。そこには新しい出会いがあり、風景があり、深い対話があります。たとえホテルの部屋であっても、そこは私の「祈祷室」となり、言葉を紡ぐ場所となります。大切なのは、どこにいても「今、ここに神様が共におられる」という事実を離さないことです。
あなたの一週間も、祝福のうちに
新しい一週間が始まりました。もし、あなたが今、身体の不調や、抱えきれない重荷、あるいは慣れない環境への不安を感じているとしても、どうぞ安心してください。あなたが「弱い」と感じているその場所こそが、神様の力が現れる舞台です。娘が三歳児の笑顔に癒されるように、妻が歩く道に小さな春を見つけるように、あなたの一歩にも必ず「小さな恵み」が用意されています。
成田の空の下から、皆様の歩みが守られるよう祈っています。
成田でのランニングも正直、楽しみにしています。もちろんランニングウェアーとシューズも持参して行きます。
今日も、そして今週も、共に前進です。
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