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2026年5月7日木曜日

階段の一段に刻む「今」

 


階段の一段に刻む「今」 ―― 12歳のノアと見上げる光

午前二時、静寂を刻む爪音

午前二時。街が深い眠りについている時刻、愛犬のノアと共に散歩へ出かけました。自らの足でしっかりと階段を降りてくるノアの姿を見守りながら、私の心には真っ先に「感謝」の言葉が浮かびました。

来週、ノアは十三歳の誕生日を迎えます。人間で言えば、もう立派な高齢期。散歩を終えて、再び一段ずつ階段を上っていくその後ろ姿を見つめながら、私はもう一度、深く感謝せずにはいられませんでした。


 


「いつか」を憂えず、「今」を抱きしめる

階段を上り下りする。若い頃には当たり前すぎて、意識することすらなかったこの動作。しかし今の私たちにとっては、それが「今日も自分たちの足で歩けている」という、奇跡のような証しです。もちろん、現実を直視すれば、いつか自力で階段を降りることも、上ることもできなくなる日がやってくるでしょう。体力が衰え、介助が必要になる瞬間は、確実に近づいています。けれど、その「いつか」を先取りして不安に震える必要はないのだと、ノアの静かな足取りが教えてくれました。

「その時は、その時に合わせて生きれば良い」

未来の不自由を今から嘆くのではなく、今、この瞬間に自分の足で一段を上りきった喜びを噛み締める。それこそが、命を預かっている者の誠実な態度なのだと気づかされたのです。


 


今日という日の「足音」を聴く

聖書は、私たちの思い煩いに対して、このように語りかけています。

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイによる福音書 634節)

私たちはつい、まだ見ぬ「階段の終わり」ばかりを気にして、今踏みしめている「一段の温もり」を忘れてしまいがちです。けれど、神様が私たちに与えてくださっているのは、常に「今日という一日」の恵みです。

ノアが一段を上る。その小さな爪音が夜の空気に響く。それだけで、私たちの世界は十分に満たされています。明日動けなくなることを恐れて今日を暗く過ごすより、今日動けることを最大級の喜びとして受け取る。その積み重ねが、やがて「恵みに満ちた一生」という階段を作り上げていくのです。


 


精一杯に、今を刻む

来週の誕生日を前に、一歩一歩を愛おしむように歩くノア。  彼との散歩は、私にとって「今を精一杯に生きる」という、最も純粋な神学の学びの時間でもあります。

 あなたにとっての「階段」は、今、どのような景色に見えていますか?  先の方にある急な段差や、出口の見えない暗闇に足がすくむこともあるかもしれません。

でも、どうか今日の一歩を大切にしてください。  今日、息をしていること。今日、誰かと微笑みを交わせたこと。  その一段を誇り、感謝して、また次の一歩へ。

「その時」が来たら、その時にまた神様が新しい道を示してくださいます。  今はただ、目の前の一段を、光の中へと踏み出していきましょう。

今日も、共に前進です。

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