恵みの雨をくぐる30キロと、ハンドルの温もり
―― 自ら選ぶ「仕える」という喜び
万全ではない朝と、初夏のシャワーラン
まだ夜の帳が下りたままの午前4時過ぎ。決して万全とは言えないコンディションのなか、重い身体を静かに起こしました。「今日も休もうか」という甘い囁きを振り払い、玄関のドアを開けて路面へと踏み出します。空は重たい雨模様。今日は西公園のコースを選び、黙々と距離を刻んでいくうちに、やはり帰り道で雨が降り出しました。
しかし、この時期の雨は決して冷たくはありません。 久々に全身に雨を浴びながら走る「シャワーラン」。火照った身体を優しく冷ましてくれるその雨粒は、むしろ心地よく、澱んでいた思考までも綺麗に洗い流してくれるかのようでした。不調から始まった朝でしたが、終わってみればしっかりと30キロの完走。一歩を踏み出した者にだけ与えられる、静かな達成感がそこにありました。
雨の日の「送迎」を、喜びへと変えるもの
天気予報によれば、今日は一日を通して「100%の雨」。 足元が悪く、外に出るのが億劫になる一日です。そんな雨の朝、私は大切な家族である二人を、車でそれぞれの場所へ送り迎えすることに決めました。「雨だから送ってあげなければならない」という義務感や負担からではありません。私にとって、「これは自分が行くと決めたことであり、楽しみでもある」のです。ここに、私たちの日常の景色を大きく変える大切な気づきが隠されています。同じ「運転して人を送る」という行為であっても、誰かにやらされている、あるいは仕方なくやっていると感じた途端、それは重い苦痛へと変わります。しかし、自らの意志で「愛する者のために動こう」と決めた瞬間、その時間はハンドルの温もりに包まれた特別なひとときへと変わるのです。
自ら選んで「仕える」という本当の自由
私たちは時折、日々の忙しさや役割の中に縛られ、自由を奪われているように錯覚してしまいます。しかし、本当の自由とは「何もしなくていいこと」ではなく、「誰のために自分の時間と労力を差し出すかを、自ら選ぶこと」にあります。聖書にも、「愛によって互いに仕えなさい」という言葉があります。愛とは、嫌々ながら払う犠牲ではなく、自ら進んで他者のために喜んで動く「能動的な力」です。雨の日に濡れないよう車を出し、助手席でほっと息をつく家族の横顔を見守ること。それは、神様が私たちに委ねてくださった、最も身近で、最も美しい「仕える」という愛の実践に他なりません。
今日という日を、精一杯に生きる
今日、あなたの目の前には、少し面倒に思える「雨の日の仕事」や「誰かのための手助け」が待っているかもしれません。もしそうだとしたら、どうかその役割を「させられている」のではなく、「私が自ら選んで行う」ものへと、心の向きを少しだけ変えてみてください。
- 重い一歩を、まずは踏み出す: コンディションが完璧でなくても、動き出してみる。その先には必ず、心地よい「シャワー」のような恵みが待っています。
- 義務を「特権」に変える: 「やらなきゃ」を「私がやりたい」に変換し、愛する者のために喜んで動く。
雨の音を聴きながら、今日も大切な命のために生きることができる。 その喜びに深く感謝し、私も今日という一日を精一杯に頑張って生きていきます。
今日も、前進です。
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